1 00:00:14,481 --> 00:00:21,388 第三章 闇と光の本性 2 00:00:24,791 --> 00:00:27,927 詩はつづきます 3 00:00:27,927 --> 00:00:42,742 年を経た暗闇も輝ける太陽を包めない 長い年月を経た苦しみも光り輝ける意識を隠せない 4 00:00:42,742 --> 00:00:55,855 だけど言葉は空を説明するため語られるが そのような空は決して表現できない それでも我々は言う “意識は輝ける光のようだ” 5 00:00:55,855 --> 00:01:08,635 それはすべての言葉とシンボルを越えている たとえ意識が本質的に空であったとしても すべてのものはそれに抱かれ そして含まれる 6 00:01:20,447 --> 00:01:50,243 まず我々は少し闇の本性に瞑想してみよう それは存在の中でもっとも神秘的なことのひとつだ そしてあなたの生はあまりにもそれに巻き込まれている あなたはそれについて考えないわけにはいかない 7 00:01:50,243 --> 00:02:10,897 人はこの闇の本性の領域に行き着かなければならない なぜなら同じものが眠りの本性 死の本性 すべての無知の本性だ 8 00:02:12,899 --> 00:02:42,662 最初 もしあなたが闇に瞑想したら 闇は存在しないことが あなたに明らかになる それはどんな存在もなく そこにある それは光よりもっと神秘的だ それはまったく存在しない 9 00:02:42,662 --> 00:03:20,667 むしろ逆に それはただ光の不在 闇はどこにもない あなたはそれを見つけられない それはただの不在 それ自身ない それ自身存在はない それはただ光がそこに存在しないだけだ 10 00:03:23,603 --> 00:03:53,900 もし光がそこにあれば どんな闇もない もし光がそこになければ 闇がある 光の不在 それは何かの臨在ではない そういうわけで光は来ては去る 闇は留まる それはない しかしそれは居座る 光ならあなたはつくり出せる 11 00:03:55,135 --> 00:04:17,90 光ならあなたは壊せる しかしあなたは闇をつくれない そしてあなたは闇を破壊できない それはまったくあることなく常にそこにある 12 00:04:19,292 --> 00:04:41,514 二番目 もしあなたがよく考えたら あなたはそれを認識する なぜならそれは無存在だ あなたはそれに何もできない そしてもしあなたがそれに何かしたら あなたは打ち負かされる 13 00:04:41,514 --> 00:04:57,397 闇は打ち負かされない どうしてあなたはない何かを打ち負かせる そしてあなたが打ち負かされたとき あなたは “それはとても力強い なぜならそれは私を打ち負かした”と考える 14 00:04:57,397 --> 00:05:24,391 これは愚かだ 闇はどんな力も持たない どうして無いものが力を持てる あなたは闇に そしてその力に打ち負かされたのではない あなたはない何かと戦うことによって打ち負かされた 最初にあなたが戦いを始めた それが愚かだった 15 00:05:24,391 --> 00:05:37,103 どうしてあなたはない何かと戦える そして覚えておきなさい あなたはない物事と戦ってきた それらはちょうど闇のようだ 16 00:05:37,103 --> 00:06:04,264 道徳の全体は闇に対する戦いだ そういうわけでそれは愚かだ 道徳の全体は無条件に闇との戦い それ自身ない何かとの戦い 憎しみは真実ではない それはただの愛の不在だ 17 00:06:04,264 --> 00:06:30,690 怒りは真実ではない それはただ慈悲の不在 無知は真実ではない それはただ仏陀の境地 悟りの不在だ セックスは真実ではない それはただ単独性の不在 18 00:06:34,461 --> 00:06:54,681 そしてすべての道徳はないものと戦いつづける 道徳家は決して成功しない それは不可能だ 最終的に彼は打ち負かされなければならない 彼のすべての努力はばかばかしい 19 00:06:54,681 --> 00:07:13,900 そして宗教と道徳の間に違いがある 道徳は闇と戦う そして宗教は内側に隠された光を目覚めさせようとする それは闇について悩まない それはただ内側に光を見つける 20 00:07:13,900 --> 00:07:27,981 ひとたびそこに光があれば 闇は消える ひとたびそこに光があれば あなたは闇に何をする必要もない ただそれはそこにない 21 00:07:27,981 --> 00:07:40,26 二番目 闇に直接何もできない もしあなたが闇に何かをしたければ あなたは闇ではなく 光に何かをしなければならない 光を消す そして闇はそこにある 22 00:07:40,26 --> 00:07:52,105 光を灯す そして闇はそこにない しかしあなたは闇を灯したり 消したりできない 23 00:07:52,105 --> 00:08:15,161 あなたはそれをどこかから持ち込めない あなたはそれを押し出せない もしあなたが闇に何かをしたければ あなたは光経由で行かなければならない あなたは間接的な道を行かなければならない 24 00:08:15,161 --> 00:08:36,282 決してないものと戦うな マインドは戦いに誘われやすい しかしその誘惑は危険だ あなたのエネルギー、生、あなた自身をすり減らす 25 00:08:36,282 --> 00:08:57,337 マインドによって誘惑されるな そのものが本当にあるのか あるいはないのか見なさい もしそれがないなら そうしたらそれと戦うな そうしたらないそのものを探せ そうすればあなたは正しい道の上にいる 26 00:08:59,5 --> 00:09:14,988 闇について三番目 あなたの存在が闇に何百万の方法で深く巻き込まれている 27 00:09:14,988 --> 00:09:42,849 あなたが怒るときいつであれ あなたの内側の光が消えている 事実 あなたは怒る なぜなら光が消えている 闇が入ってきた あなたが無意識なときのみ怒れる あなたは意識的に怒れない それを試してごらん 28 00:09:42,849 --> 00:09:57,97 あなたは意識を失う そして怒りはそこにある あるいはあなたが意識的に留まる そして怒りは湧き上がらない どちらか あなたは意識的に怒れない それは何を意味する 29 00:09:57,97 --> 00:10:18,151 それは意識の本性はちょうど光のようだ そして怒りの本性はちょうど闇のようだ そういう意味だ あなたは両方同時に持てない もし 光がそこにあれば闇を持てない もしあなたが意識的なら怒れない 30 00:10:18,151 --> 00:10:36,836 人々は絶えず私の所へ来る そしてどうしたら怒らないようになるか尋ねる 彼らは間違った質問をしている そしてあなたが間違った質問をしたら それは正しい答えを得るのはとても難しい 31 00:10:36,836 --> 00:11:00,994 まず正しい質問をしなさい どうして闇を追い出すか尋ねるな どうして心配 苦悩 不安を追い出すか尋ねるな ただあなたのマインドを分析しなさい そしてまず なぜ それらがそこにあるのか見なさい 32 00:11:00,994 --> 00:11:10,203 それらはそこにある なぜならあなたが十分に意識的ではない だから正しい質問をしなさい どうしたらもっともっと意識的になるか 33 00:11:10,203 --> 00:11:20,947 もしあなたがどうしたら怒らないようになるか尋ねたら あなたはどこかの道徳家の餌食になる 34 00:11:20,947 --> 00:11:41,701 そしてもしあなたがどうしたら意識的になるか尋ねたら そうしたら怒りは存在できない そうしたら煩悩は存在できない そうしたら欲望は存在できない あなたは正しい道の上にいる あなたは宗教的な探求者になる 35 00:11:41,701 --> 00:11:58,818 道徳はニセ札だ それは人々を騙す それはまったく宗教ではない 36 00:11:58,818 --> 00:12:09,129 宗教は道徳と関係ない なぜなら宗教は闇と関係ない それはあなたを目覚めさせる積極的な努力だ 37 00:12:09,129 --> 00:12:33,86 それはあなたの性格について悩まない あなたが何をするか無意味だ そしてあなたはそれを変えられない あなたはそれを飾るかもしれない あなたはそれを変えられない あなたはそれに素晴らしい方法で色を付けするかもしれない あなたはそれを描くかもしれない しかしあなたはそれを変えられない 38 00:12:33,86 --> 00:12:50,737 ただひとつの変容 ただひとつの革命がある そしてその革命はあなたの性格 あなたの行動に関わることによって来るのではなく あなたの実在に関わる 39 00:12:50,737 --> 00:13:11,491 実在は積極的な現象だ ひとたび実在が注意深く 目覚め 意識的になれば 突然 闇は消える あなたの実在は光の本性だ 40 00:13:11,491 --> 00:13:33,46 そして四番目… そうして我々は教えに入っていく 眠りはちょうど闇のようだ あなたは光があるとき眠ることが難しいのはただの偶然ではない それはただ自然だ 41 00:13:33,46 --> 00:13:57,937 闇は眠りと親密な関係がある そういうわけで夜 眠るのはやさしい 周り中の闇はあなたが とても簡単に眠りの中に落ちる雰囲気をつくる 42 00:13:57,937 --> 00:14:19,526 眠りで何が起こる? あなたはだんだんと意識を失う そこにあなたが夢を見るすきまがくる 夢を見ることは半分意識 半分無意識を意味する 43 00:14:19,526 --> 00:14:41,514 完全な無意識へ向かっていくちょうど中間 あなたは目覚めの状態から あなたは完全な無意識に入っていく その道の上に夢が存在する 夢はただあなたが半分目覚め そして半分眠っていることを意味する 44 00:14:41,514 --> 00:15:03,803 そういうわけで もしあなたが夜のあいだ絶えず夢を見たら あなたは朝 疲れる そしてもしあなたが夢を見ることが許されなかったら それもまたあなたは疲れる なぜなら夢はある理由のために存在する 45 00:15:03,803 --> 00:15:35,735 あなたが起きている時間 あなたは物事を貯める 思考 感覚 未完成な物事はマインドに引っかかる あなたは路上できれいな女性を見る そして突然 あなたに欲望が湧き上がる 46 00:15:36,436 --> 00:15:57,691 しかしあなたは礼儀正しい 文化的な性格の人だ あなたはただそれを押さえ込む あなたはそれを見ない あなたは仕事をつづける 未完成な欲望はあなたの周りに引っかかる 47 00:15:57,691 --> 00:16:13,6 それは完成されなければならない さもなければあなたは眠りに落ちられない それはあなたを何度も何度も引き戻す それは言う “戻っておいで この女性は本当にきれいだ 48 00:16:13,6 --> 00:16:26,186 彼女の体は魅力的だ そしてお前は馬鹿だ お前はここで何をしている 彼女を追っかけろ お前は絶好の機会を逃している” 49 00:16:26,186 --> 00:16:45,939 そこに引っかかった その欲望はあなたが眠りに落ちるのを許さない マインドが夢をつくる 再びあなたは路上にいる そのきれいな女性が通る しかし今回 あなたはひとり どんな文明もあなたの周りにない 50 00:16:45,939 --> 00:17:17,904 どんな礼儀正しさも必要ない どんな作法も必要ない あなたは動物のようだ あなたは自然だ どんな道徳もない これはあなた自身の個人的な世界だ どんな警官もその中に入れない どんな裁判官もそれを裁けない あなたはただひとり ひとりの目撃者さえいない 51 00:17:20,540 --> 00:17:41,27 今 あなたは自分の欲望と戯れる あなたは性的な夢を見る その夢はそこに引っかかっていた欲望を完成させる そうしたらあなたは眠りに落ちる しかしもしあなたが絶えず夢を見たら それもまた あなたは疲れる 52 00:17:41,27 --> 00:18:03,416 もしあなたは夢を見ることが許されなかったら… アメリカには多くの眠りの研究所がある そして彼らはこの現象を発見した もし人が夢を見ることを許されなかったら 三週間の内に彼は狂うだろう 53 00:18:03,416 --> 00:18:21,868 もし彼が夢を見始めたときいつであれ 何度も何度も起こす 夢を見ているとき目に見えるサインがある 人が夢を見始めたら あなたは彼を起こす 特に彼のまぶたが速く震え始める それは彼が夢を見ていることを意味する 54 00:18:21,868 --> 00:18:40,520 彼が夢を見ていないときまぶたは休む なぜなら彼が夢を見始めたとき目は働いている そのとき彼を起す そしてこれを一晩じゅうする 彼が夢を見始めたらいつであれ 彼を起す 三週間の内に彼は狂う 55 00:18:40,520 --> 00:18:59,572 眠りはそんなに必要なものとは思われない もしあなたが人を起こしても… 彼が夢を見ていないとき起こしても 彼は疲れない しかし彼は狂わない それは何を意味する? それはあなたにとって夢が必要だという意味だ 56 00:18:59,572 --> 00:19:19,592 あなたはそんなにも…あなたはそんなにも幻だ あなたの全存在はそんなにも幻だ ヒンドゥー教徒がマーヤと呼ぶものだ 夢は必要だ 夢なしにあなたは存在できない 57 00:19:19,592 --> 00:19:35,809 夢はあなたの食べ物 夢はあなたの命の綱 夢なしであなたは狂う 夢は狂気のはけ口 そしてひとたび排泄されたら あなたに深い眠りに落ちる 58 00:19:35,809 --> 00:19:48,521 あなたは起きている状態から夢に落ちる そして夢からあなたは眠りに落ちる 毎晩 普通の人は八回の夢を見る 59 00:19:48,521 --> 00:20:01,901 そしてその夢と夢の間のほんの短い瞬間 彼は深い眠りに入る その眠りですべての意識は消える それは絶対的な暗だ 60 00:20:01,901 --> 00:20:19,586 しかしそれでもなお あなたは境界線のそばにいる そして緊急事態があれば あなたは目覚める 家が火事だ あなたは目覚めの意識に駆け戻らなければならない 61 00:20:19,586 --> 00:20:34,100 あるいはあなたは母親だ そして子供が泣きだす あなたは目覚めに走る 突進する だからあなたは境界線に留まる あなたは深い闇に落ちる しかし境界線上に残る 62 00:20:34,100 --> 00:21:04,397 死であなたは正確に中心に落ちる 死と眠りは似ている 質は同じだ 眠りで毎日 あなたは闇に落ちる 完全な闇 それはあなたが完全に無意識になることを意味する まさに仏陀の境地の対局 63 00:21:05,598 --> 00:21:19,913 仏陀は完全に目覚めている そして毎晩 あなたは完全に意識のない状態 絶対の闇に落ちる 64 00:21:19,913 --> 00:21:40,834 ギータの中でクリシュナはアルジュナに言う すべての人がぐっすり眠っているとき ヨギはなお目覚めている それは彼が決して眠らないという意味ではない 彼は眠る 65 00:21:40,834 --> 00:22:08,628 しかしただ体のみ眠る 体は休む 彼はどんな夢も見ない なぜなら彼はどんな欲望もない だから彼は未完成な欲望もない そして彼はあなたのように眠らない 最も深い休みでさえ意識は清浄 意識は炎のように燃えている 66 00:22:08,628 --> 00:22:25,278 毎晩 あなたは眠りに落ちる あなたは深い無意識 昏睡に落ちる 死であなたはもっとも深い昏睡に落ちる 67 00:22:25,278 --> 00:22:39,626 それらはすべて闇のようだ そういうわけであなたは闇を恐れる なぜならそれは死のようだ そして眠りもまた恐れる人々がいる なぜなら眠りもまた死のようだ 68 00:22:39,626 --> 00:22:53,506 私は眠れない人々に出会ってきた 彼らは眠りたい そして私が彼らのマインドを理解しようとしたとき 私は彼らが基本的に恐れていることがわかった 69 00:22:53,506 --> 00:23:08,21 彼ら言う 彼らは眠りたい なぜなら彼らも疲れる しかし深いところで彼らは眠りを恐れている そしてこれがすべての混乱をつくる 70 00:23:08,21 --> 00:23:33,179 90㌫不眠症は眠りを恐れている あなたは恐れる あなたは闇を恐れる あなたは眠りもまた恐れる そしてその恐怖は死の恐怖からくる 71 00:23:33,179 --> 00:23:50,430 ひとたびあなたがそれらはすべて闇だ そしてあなたの内なる本性は光だと理解したら 物事は変わり始める そうなったらあなたにとって眠りはない ただの休息 72 00:23:50,430 --> 00:24:16,890 そうしたらあなたにとって死はない ただ体の着物 体の変化 ただ衣装の変化 しかしそれはもしあなたがあなたの内なる炎 内なる本性 最も内なる実在を認識したら起こる 73 00:24:16,890 --> 00:24:21,361 では経文に入ろう 74 00:24:21,361 --> 00:24:36,142 年を経た暗闇も輝ける太陽を包めない 長い年月を経た苦しみも光り輝ける意識を隠せない 75 00:24:36,142 --> 00:24:52,192 目覚めた人々 彼らはその認識に至った… 年を経た暗闇も輝ける太陽を包めない 76 00:24:52,192 --> 00:25:14,381 あなたは何百万回の生のあいだ 闇をさまよってきたかもしれない しかしそれはあなたの内なる光を破壊できない なぜなら闇は攻撃できない それはない ない何かがどうして攻撃できる? 77 00:25:14,381 --> 00:25:20,954 闇は光を破壊できない 78 00:25:20,954 --> 00:25:37,337 どうして闇が光を破壊できる 小さな炎でさえ 闇はそれを破壊できない 闇はそれに飛びかかれない それと戦えない 79 00:25:37,337 --> 00:25:56,89 どうして闇がその炎を破壊できる どうして闇が炎を包める それは不可能だ それは決して起こらない なぜならそれは起ることはない 80 00:25:56,89 --> 00:26:12,539 しかし人々は戦いの観点で考えつづける 彼らは闇が光に対抗していると考えている これは愚かだ 闇は光に対抗できない 81 00:26:12,539 --> 00:26:36,162 どうして不在がその不在であるそのものに対抗できる? 闇は光に対抗できない そこにどんな戦いもない それはただの不在 まったくの不在 まったく不能 どうしてそれが攻撃できる 82 00:26:36,162 --> 00:26:49,9 あなたは言いつづける “私は怒りに襲われた 私に何ができた” それは不可能だ 83 00:26:49,9 --> 00:27:08,495 “私は欲望に襲われた” それは不可能だ 欲望は攻撃できない 怒りは攻撃できない それらは闇の本性だ そしてあなたの実在は光だ まさにその可能性は存在しない 84 00:27:08,495 --> 00:27:30,950 しかし怒りは来る それはあなたが内なる炎を 完全に忘れてしまったことをただ示している あなたはそれに完全に気づかない あなたはそれがそこにあるのを知らない この忘れっぽさがそれを包む しかし闇ではない 85 00:27:30,950 --> 00:27:50,670 だから本当の闇はあなたの忘れっぽさだ そしてあなたの忘れっぽさは怒り 欲望 煩悩 憎しみ 嫉妬を招く それらはあなたを攻撃できない 86 00:27:50,670 --> 00:28:13,827 覚えておきなさい まずあなたが招待状を送った そして彼らはそれを受け入れた あなたの招待状がそこにある それらは攻撃できない それらは招かれた客としてくる 87 00:28:13,827 --> 00:28:25,338 あなたが以前それらを招待したことを忘れてしまったのかもしれない あなたは忘れた なぜならあなたはあなた自身を忘れた あなたは何でも忘れる 88 00:28:25,338 --> 00:28:51,865 忘れっぽさが本当の闇だ そしてその忘れっぽさの中ですべては起こる あなたはちょうど酔っ払いのようだ 完全にあなた自身を忘れてしまった あなたが誰か あなたはどこへ向かっているのか 何のためにあなたは向かっている 89 00:28:51,865 --> 00:29:22,395 すべての方向性は失われた まさにその方向の感覚はそこにない あなたは酔っ払いのようだ そういうわけで すべての基本的な宗教の教えは自己を覚えておくこと強調する 忘れっぽさが病気だ そうして自己留意がその解毒剤になるだろう 90 00:29:22,395 --> 00:29:30,337 あなた自身を覚えておきなさい そしてあなたは言う “私は私自身を知っている そして私は自分自身を覚えている あなたはいったい何を言っているのですか” 91 00:29:30,337 --> 00:29:44,651 そうしたらそれを試してごらん あなたの腕時計をあなたの前に置き そして秒針を見る 92 00:29:44,651 --> 00:29:59,65 そしてただひとつのことを覚えておきなさい “私はこの秒針を見ている” あなたは何回も忘れる 93 00:29:59,65 --> 00:30:06,840 ただこの簡単なこと “私は見ている そして私は私が見ているということ覚えている” 94 00:30:06,840 --> 00:30:20,887 あなたは忘れる 物事があなたのマインドにやってくる あなたは約束をしていた ただ時計を見ることによってその連想がマインドにやってくる 私は五時に友達に会うために行かなければならない 95 00:30:20,887 --> 00:30:34,534 突然 思考はやってくる そしてあなたはそれを見ていることを忘れる ただ時計を見ることによって あなたはスイスのことを考えるかもしれない なぜならそれはスイス製だ 96 00:30:34,534 --> 00:30:56,756 ただ時計を見ることによって あなたは考えるかもしれない “私はなんと馬鹿だろう 私はここでいったい何をしている 時間の浪費だ” しかしあなたは連続した三秒の間でさえ 秒針を見ていることを覚えていられない 97 00:30:56,756 --> 00:31:23,616 もしあなたが一分間の自己留意に達したら 私はあなたを仏陀にすることを約束しよう 一分間 六十秒のあいだでさえ それをやってごらん あなたは考える “そんなに安い そんなにやさしい” そうではない あなたはあなたの忘れっぽさがどんなに深いか知らない 98 00:31:23,616 --> 00:31:41,601 あなたはそれを一分の間でさえ絶えず覚えておけない ひとつの思考もやってこない そしてあなたの自己留意を邪魔しない これが本当の闇だ 99 00:31:41,601 --> 00:32:02,322 もしあなたが覚えていたら あなたは光になる もしあなたが忘れたら あなたは闇になる そして闇の中で  もちろんすべての種類の泥棒がくる すべての種類の強盗があなたを襲う すべての種類の災いが起こる 100 00:32:02,322 --> 00:32:21,875 自己留意が鍵だ もっともっと自己を覚えておこうとしなさい なぜならあなたがもっともっと覚えているときいつであれ あなたは中心が据わる あなたはあなた自身の中にいる 101 00:32:21,875 --> 00:32:38,91 あなたの飛び回るマインドはあなたの自己自身に戻ってくる さもなければ あなたはどこかに向かっている マインドは絶えず新しい欲望をつくる そしてあなたはついて行く 102 00:32:38,91 --> 00:32:57,610 そしてマインドは同時に多くの方向を追いかける そういうわけであなたは分割される あなたはひとつではない そしてあなたの炎 内側の炎は揺れつづける 強い風の中の葉っぱのように 103 00:32:57,610 --> 00:33:22,669 内側の炎が揺れないとき 突然 あなたは変身 変容を通る 新しい実在が生まれる その実在は光の本性だ まさに今 あなたの闇の本性だ 104 00:33:22,669 --> 00:33:50,563 あなたは可能な何かの不在だ 事実 あなたはまだいない あなたはまだ生まれていない あなたは多くの誕生と死を体験してきた しかしあなたはまだ生まれていない あなたの本当の誕生はまだ起こっていない 105 00:33:50,563 --> 00:34:03,410 そしてこれがあなたの内なる本性を忘れっぽさから 自己留意に変容する仕事だ 106 00:34:03,410 --> 00:34:24,431 あなたがしたいこと何であれ やりなさい 私はあなたにどんな規律も与えない そして私はあなたにこれをし そしてあれをするなと言わない 私の規律はとても易しい 私の規律はあなたが好きなことを何でもやりなさい しかし自己留意でやりなさい 107 00:34:24,431 --> 00:34:40,613 あなたがそれをしていることをあなた自身で覚えておきなさい 歩いている あなたは歩いていることを覚えておきなさい あなたはこれを言葉にする必要はない なぜなら言葉にすることは役に立たない それ自身が邪魔になる 108 00:34:40,613 --> 00:34:55,862 あなたは歩き そして“私は歩いている”と内側で言う必要はない なぜならもしあなたが“私は歩いている 私は歩いている”と言えば この“私が歩いている”がその忘れっぽさになる そうしたらあなたは覚えておくことはできない ただ覚えていなさい それを言葉にする必要はない 109 00:34:55,862 --> 00:35:10,76 私は言葉にしなければならない なぜなら私はあなたに話している しかしあなたが歩いているとき あなたはただその歩いている現象を覚えておきなさい 一歩一歩完全な覚醒で歩きなさい 110 00:35:10,76 --> 00:35:25,291 食べる 食べなさい 私は何を食べ そして何を食べるなと言わない あなたの好きなもの何であれを食べなさい しかしあなたは食べているという自己留意で そしてすぐに あなたは物事をすることが不可能になっていることがわかる 111 00:35:25,291 --> 00:35:49,215 自己留意であなたは肉を食べられない 不可能だ もしあなたが覚えていれば そんなにも暴力的になることは不可能だ 覚えているとき誰かを傷つけることは不可能だ 112 00:35:49,215 --> 00:36:02,696 なぜならあなた自身を覚えているとき 突然 あなたは同じ光が 同じ炎がそれぞれの体の中で それぞれの単体の中にすべてのところで燃えていることがわかる 113 00:36:02,696 --> 00:36:15,8 あなたが内なる本性を知れば知るほど もっとあなたは他人を洞察する どうしてあなたは食べるために殺せる? それはただ不可能になる 114 00:36:15,8 --> 00:36:45,372 あなたがそれを練習したからではない もしあなたがそれを練習したら それは偽りだ もしあなたが泥棒にならない練習をしたとしてもそれは偽りだ あなたは泥棒だ あなたは微妙な方法を見つける もしあなたが非暴力を練習したら あなたの非暴力… その背後に暴力が隠れている 115 00:36:45,372 --> 00:37:07,93 違う 宗教は練習できない 道徳は練習できる そういうわけで道徳は偽善をつくる 道徳は偽りの顔をつくる 宗教は真正な実在をつくる それは練習できない 116 00:37:07,93 --> 00:37:24,878 どうしてあなたは実在を練習できる? あなたはただもっと醒める そして物事は変わり始める あなたはただもっと光の本性になる そして闇は消える 117 00:37:24,878 --> 00:37:32,185 時を経た闇も輝ける太陽を包めない… 118 00:37:32,185 --> 00:37:54,841 何百万の生の間 長い年月ずっと あなたは闇の中にいた しかし憂鬱を感じるな そして失望を感じるな なぜならもしあなたが何百万生のあいだ闇の中に住んできたとしても このまさに この瞬間 あなたは光に達せられる 119 00:37:54,841 --> 00:38:20,800 ただ見なさい 家が百年のあいだ閉じられたまま 暗い そしてあなたがその中へ入る そしてあなたは光を灯す 闇は言うか “私は百歳だ そしてこの光はただの赤ん坊だ” 120 00:38:20,800 --> 00:38:33,980 闇は言うか “私は消えない あなたは少なくとも百年のあいだ 光を燃やさなければならない そうしてのみ…” 121 00:38:33,980 --> 00:38:51,765 違う たとえ赤ん坊の炎でさえ とてもとても古い闇に対しても十分だ なぜ? 百年で闇はしみ込んだに違いない 122 00:38:51,765 --> 00:39:09,416 しかし駄目だ 闇はしみ込めない なぜならそれはない それはただ光を待っていた 光が入ってきた瞬間 闇は消える それは抵抗できない なぜならそれはどんな積極的な存在も持たない 123 00:39:09,416 --> 00:39:25,198 人々は私の所へきて そして彼らは言う “あなたは突然の悟りは可能だと教える そうしたら我々の過去生で起こったこと そして我々の過去のカルマ 業はどうなる” 何もない それらは闇の本性だ 124 00:39:25,198 --> 00:39:43,283 あなたは殺人者であったかもしれない あなたは泥棒 強盗であったかもしれない あなたはヒットラー ジンギスカーン あるいはそれらの人であったかもしれない 最も悪い可能性だ しかしそれはどんな違いもない 125 00:39:43,283 --> 00:39:54,828 ひとたびあなたがあなた自身を思い出したら 光はそこにある すべての過去は直ちに消える 一瞬たりともそれはそこに留まれない 126 00:39:54,828 --> 00:40:07,640 あなたは人を殺した しかしあなたは殺人者ではない あなたは人を殺した なぜならあなたはいなかった あなた自身に気づきなさい あなたはあなたがしてきたことに気づいていなかった 127 00:40:07,640 --> 00:40:25,759 イエスは十字架の上でこう言ったと伝えられている “父よ これらの人たちを許して下さい なぜなら彼らは彼らがしていることがわからない” 彼はただ言っていた “それらの人々は光の本性ではない 彼らは彼ら自身を覚えていない 128 00:40:25,759 --> 00:40:45,845 彼らは完全な忘れっぽさの中でしている 闇の中で彼らは動いている そして躓いている 彼らを許して下さい 彼らがしていることが何であれ 彼らに責任はない” どうして彼自身を覚えていない人に責任を取らせる ? 129 00:40:45,845 --> 00:41:00,60 もし酔っ払いが誰かを殺したら もし彼が完全に無意識のときやったことが証明されたら 裁判所さえ彼を許す なぜ なぜならどうしてあなたは人に責任を取らせる 130 00:41:00,60 --> 00:41:17,577 あなたは飲酒に対し責任を取らせる しかしあなたは彼に殺人の責任を取らせられない もし狂人が誰かを殺したら 彼は許されなければならない なぜなら彼は彼自身ではなかった 131 00:41:17,577 --> 00:41:24,951 責任は覚えておくことを意味する 132 00:41:24,951 --> 00:41:53,79 あなたがしていることが何であれ 私はあなたに言う それによって心配するな それはあなたに起こった なぜならあなたは気づいていなかった あなたの内なる炎は燃えている それを見つけなさい それを探しなさい それはそこにある そして突然 すべての過去は消える それがすべて夢の中で起こったかのように 133 00:41:53,79 --> 00:42:07,927 事実 それは夢の中で起こった なぜならあなたは意識的でなかった すべてのカルマ 業は夢の中で起こった それらは夢がつくられる同じ材料でつくられている 134 00:42:07,927 --> 00:42:33,319 あなたはあなたの業が満たされるのを待つ必要はない そうしたらあなたは永遠に待たなければならない そしてそうしてさえ その車輪から出られない なぜならあなたはただ永遠に待てない あなたはその間にも多くのことをする 135 00:42:33,319 --> 00:42:55,709 そうしたら悪循環は永遠に完成しない あなたは動きつづけ そして動きつづける そしてあなたは物事をしつづける そして新しい物事はより未来の物事の中にもつれ込む そうしたらどこで終わる 136 00:42:55,709 --> 00:43:14,160 駄目だ その必要はない あなたはただ気づく そして突然 すべての業は落ちる 強烈な一瞬の覚醒で すべての過去は消える 業はゴミになる 137 00:43:14,160 --> 00:43:30,810 これは東洋で発見されたもっとも基本的なことのひとつ キリスト教徒はそれを理解できない 彼らは審判のことを考えつづける そして最後の審判の日 138 00:43:30,810 --> 00:43:52,632 すべての人は彼の行いによって裁かれなければならない そうしたらキリストが “この人たちを許して下さい なぜなら彼らは彼らがしていることがわからない” と言うことは間違っている ユダヤ人はそれを理解できない 回教徒はそれを理解できない 139 00:43:52,632 --> 00:44:11,151 ヒンドゥー教徒は本当に最も大胆な人種のひとつだ 彼らはまさに問題の核心を貫いた 問題は行動ではない 問題は実在だ 140 00:44:11,151 --> 00:44:20,760 ひとたびあなたがあなたの内なる実在 そしてその光を知ったら あなたはもうこの世界のものではない 141 00:44:20,760 --> 00:44:35,241 過去に起こったことが何であれ 夢の中で起こった そういうわけでヒンドゥー教徒はこのすべての世界は夢だと言う ただあなただけが夢ではない ただ夢を見る人のみ 夢ではない さもなければすべては夢だ 142 00:44:35,241 --> 00:44:52,559 この真実の美しさを見なさい 夢見る人のみ夢ではない なぜならその夢を見る人は夢ではない さもなければ夢は存在できない 少なくとも誰か 夢を見る人が真実の現象でなければならない 143 00:44:52,559 --> 00:45:09,843 昼 あなたは起きている あなたは多くのことをする あなたは店へ行く あなたは市場へ行く あなたは農場で あるいは工場で働く そしてあなたは何百万の物事をする 夜になり あなたが眠るとき あなたはそれについてすべてを忘れる 144 00:45:09,843 --> 00:45:35,301 それは消える 新しい世界が始まる 夢の世界 そして今 科学者はあなたが起きている時間とちょうど同じ時間 夢に時間を与えなければならないと言う 起きている時間と同じだけ夢見ることに当てなければならない 145 00:45:35,301 --> 00:46:03,96 六十年 もし二十年起きて仕事に捧げたら 二十年夢見ることに捧げる 同じ時間 正確に同じ時間 夢見ることに捧げなければならない だから夢見ることは現実に劣るわけではない それは同じ質を持っている 146 00:46:03,96 --> 00:46:24,50 夜 あなたは夢を見る あなたの起きている世界を忘れる 深い眠りの中であなたの起きていた世界を忘れる 夢見の世界 朝 再び起きている世界が存在にやってくる あなたは夢について そして眠りについて忘れる 147 00:46:24,50 --> 00:46:45,5 しかしひとつのことは絶えず残る あなただ 誰がその夢を覚えている 朝 誰が言う “私は昨夜 夢を見た” 朝 誰が言う “昨夜 どんな夢もなくとてもとても深く眠った” 誰だ? 148 00:46:45,5 --> 00:47:07,60 そこに誰か脇に立っている目撃者がいるに違いない 誰かが常に脇に立っている そして見つづけている 目覚めがくる 夢見がくる 眠りがくる そして誰かがそのそばにずっと立ち そして見つづけている ただこれが真実だ 149 00:47:07,60 --> 00:47:19,105 なぜならそれはすべての状況に存在する 他の状況は消える しかしそれはすべての状況に残らなければならない それはあなたの中でただ永遠なるものだ 150 00:47:19,105 --> 00:47:39,759 もっともっとこの目撃者に達しなさい もっともっと注意深くなりなさい そしてもっともっと観る者になりなさい むしろこの世界で俳優になるより あなたは観る者 観客になりなさい 151 00:47:39,759 --> 00:48:02,782 それ以外のすべてのものは夢だ ただ夢を見る人のみ真実だ 彼は真実でなければならない さもなければどこに夢は起こる 彼が基本だ もし彼がそこにいたら …幻はただそのせいで起こる 152 00:48:02,782 --> 00:48:27,73 そしてひとたびあなたが思い出したら あなたは笑い始める 覚えておくことなしにどんなタイプの生が存在する あなたは酔っ払っていた ひとつの状況から他の状況へ動いていた なぜかも知らず 方向もなく漂っていた 153 00:48:27,73 --> 00:48:36,349 しかし 時を経た暗闇は輝ける太陽を包めない 長い年月を経た苦しみも 154 00:48:36,349 --> 00:48:48,161 長い 長い年月 永遠のこの世界 カルパ 155 00:48:48,161 --> 00:48:52,699 光り輝ける意識を隠せない 156 00:48:52,699 --> 00:49:00,273 それは常にそこにある それがまさにあなたの実在だ 157 00:49:00,273 --> 00:49:17,90 だけど空を説明しようと言葉は語られるが そのような空は決して表現できない それでも我々は言う “意識は輝ける光のようだ” それはすべての言葉とシンボルを越えている 158 00:49:17,90 --> 00:49:40,213 ひとつのことが理解する助けになる 現実に向かう三つのアプローチ ひとつは体験的アプローチ 科学的なマインドのアプローチ 159 00:49:40,213 --> 00:49:54,594 実験 対象世界の実験 そして何かが実験で証明されない限り それを受け入れない 160 00:49:54,594 --> 00:50:19,152 そうして別の論理的なマインドのアプローチ 彼は実験をしない 彼はただ考える 議論し 賛成 そして反対を見つける そしてただマインドの努力 理性によって彼は結論を下す 161 00:50:19,152 --> 00:50:41,641 そうして三つ目は隠喩 比喩 たとえ話 詩の そして宗教のアプローチ それらの三つのアプローチがそこにある 人が現実に到達する三つの次元 162 00:50:41,641 --> 00:51:05,165 科学は客体を超えられない なぜならまさにこのアプローチは限界をつくる 科学は外なるものを越えていけない なぜなら外のもののみ実験が可能だ 163 00:51:05,165 --> 00:51:18,611 哲学 論理は主体を越えられない なぜならそれはマインドの努力 あなたはその仕事をあなたのマインドで行う 164 00:51:18,611 --> 00:51:41,134 あなたはそのマインドを溶かせられない あなたはそれを越えていけない 科学は客観的だ 論理 哲学は主観的だ 宗教は越えていく 詩は越えていく それは黄金の橋だ それは客観と主観の間に橋を架ける 165 00:51:41,134 --> 00:52:02,622 しかしそうすればすべてのものは混沌になる もちろんとても創造的だ 事実 もしどんな混沌もなければ どんな創造性もない しかしすべてのものは無識別になる 区別は消える 166 00:52:02,622 --> 00:52:21,808 私はそれをこのように言いたい 科学は昼のアプローチ 真昼 すべてのものは明確だ 明瞭な境界線 そしてあなたは他のものがよく見える 167 00:52:22,676 --> 00:52:37,490 論理は夜のアプローチ ただマインドで真っ暗な中を手探りする どんな実験の支えもなく ただ考える 168 00:52:37,490 --> 00:52:59,245 詩と宗教は黄昏のアプローチ ちょうど中間 昼はもうそこにない 真昼の輝きは去った 物事はそんなにも明瞭 明確ではない 169 00:52:59,245 --> 00:53:29,275 夜はまだ来ていない 闇はすべてを包んでいない 闇と昼が出会う 柔らかい灰色がある 白でもなく黒でもない 境界線は出会い そして溶ける すべてのものの識別がはっきりしない すべてのものはすべて他のものだ 170 00:53:30,10 --> 00:53:34,47 これは隠喩的な 比喩 たとえ話のアプローチ 171 00:53:34,47 --> 00:53:54,701 そういうわけで詩は隠喩で話す そして宗教は究極の詩だ 宗教は隠喩で話す 覚えておきなさい それらの隠喩は言葉通り取るべきではない さもなければあなたは要点を取り逃がす 172 00:53:54,701 --> 00:54:07,347 私が“内なる光”と言うとき それを言語的な理解の次元で考えるな 違う 173 00:54:07,347 --> 00:54:29,736 私が“内側は光のようだ”と言うとき それは比喩 たとえ話だ 何かが指し示めされる しかし限定されたものではない 定義されたものではない 光の本性の何か 正確に光ではない それが隠喩だ 174 00:54:29,736 --> 00:54:50,23 そしてこれが問題になる なぜなら宗教は隠喩で話す それ以外では話せない どんな他の道もない もし私が別の世界に行ってきたとする そして私はこの地上に存在しない花を見た 175 00:54:50,23 --> 00:54:58,98 そして私はあなたの所へ来て そしてそれらの花について話す 私はどうする? 176 00:54:58,98 --> 00:55:17,217 私は隠喩的にならなければならない 私は“バラのような”と言う しかしそれらはバラではない さもなければなぜ“バラのような”と言う? ただ“バラ”と言う しかしそれらはバラではない それらはそれらに違った質を持つ 177 00:55:17,217 --> 00:55:34,834 “ような”で 私は私の別の世界の理解と あなたのこの世界の理解に橋を架けようとしている それゆえのたとえ話だ あなたはバラを知っている あなたは別の世界のそれらの花は知らない 178 00:55:34,834 --> 00:55:52,52 私は別の世界のそれらの花を知っている そして私はこの別の世界の何かをあなたに伝えようとしている 私はそれらをバラのようだと言う あなたが別の世界に着いたとき私に怒るな そしてバラを見つけられない 179 00:55:52,52 --> 00:56:21,581 私を裁判所に引っ張っていくな なぜならそれは決して言葉通りの意味ではない ただ何かバラの質を指し示している それはただのしぐさ 月を指し示す指だ しかしその指を捕まえるな その指は関係ない 180 00:56:21,581 --> 00:56:32,225 月を見なさい そして指を忘れなさい これが隠喩の意味だ 隠喩 比喩 たとえ話にしがみつくな 181 00:56:32,225 --> 00:56:51,978 人々はこのせいで泥水にはまる このせいで 彼らは隠喩にしがみつく 私が内なる光について話す 直ちに二 三日の内に 人々は私の所へ来る 彼らは言う “私は内なる光を見ました” 182 00:56:51,978 --> 00:57:08,294 彼らは別の世界のバラを見つけた…それらはそこには存在しない この隠喩的な言語のせいで人々はただ想像的になる 183 00:57:08,828 --> 00:57:32,118 PDウスペンスキーはひとつの言葉をつくった 彼はよくそれを“イマジオン”と呼んだ 誰かが来たときいつであれ そして彼が内なる体験について話し始める “クンダリーニが上がった 私は頭の中に光を見た チャクラが開いた” 184 00:57:32,118 --> 00:57:53,340 彼は直ちに彼を止め そして“イマジオン”と言う そこで人々は“そのイマジオンとは何か”と尋ねる 彼は“想像力の病気だ”と言ったものだ そして彼はただそれを問題にしなかった 彼は直ちに“やめろ あなたは餌食に落ちた”と言う 185 00:57:53,340 --> 00:58:06,119 宗教は隠喩で話す なぜなら話す他の方法はない なぜなら宗教は別の世界 越えたものを話す 186 00:58:06,119 --> 00:58:30,76 それはこの世界に似たものを探そうとする それは筋違いである言葉を使う しかし何とかそれらの筋違いの言葉がただひとつ有効な言葉だ あなたはそれを使わなければならない 187 00:58:31,678 --> 00:58:51,865 詩ならあなたは簡単に理解できる 宗教は難しい なぜなら詩ならあなたはすでにそれは想像だということを知っている だから何の問題もない 科学ならあなたは簡単に理解できる なぜならあなたはそれが想像ではないことを知っている それは体験的事実だ 188 00:58:51,865 --> 00:59:05,111 詩ならあなたは簡単に理解できる あなたはそれが詩だと知っている 単なる詩 おしまい それは想像だ いいなあ 素晴らしい あなたはそれを楽しめる それは真実ではない 189 00:59:05,111 --> 00:59:16,923 宗教のやり方 それは宗教は究極の詩だ そしてそれは想像ではない そして私はあなたに言う それは体験的 科学と同じぐらい体験的だ 190 00:59:16,923 --> 00:59:29,235 しかしそれは科学的用語を使えない それらはあまりにも客観的だ それは哲学的用語を使えない それらはあまりにも主観的だ 191 00:59:29,235 --> 00:59:39,112 それにはどちらでもない何かを使わなければならない それにはその両方に橋を架ける何かを使わなければならない それは詩を使う 192 00:59:39,112 --> 00:59:53,26 すべての宗教は究極の詩 本質的な詩だ あなたは仏陀より他に偉大な詩人を見つけられない もちろん彼はひとつの詩も書こうと決してしなかった 193 00:59:53,26 --> 01:00:04,104 私はあなたとここにいる 私は詩人だ 私はひとつの詩もつくらない ひとつの俳句でさえ 194 01:00:04,104 --> 01:00:31,131 しかし私は絶えず隠喩で話す 絶えず私は科学と哲学の間につくりだされる隙間に 橋を架けようとしている 私はあなたに全体 分けられない全体の感覚を与えようとしている 195 01:00:31,131 --> 01:00:39,539 科学は半分 哲学も半分 どうする どうしてあなたに全体の感覚を与える 196 01:00:39,539 --> 01:00:59,159 もしあなたが深く哲学の中に入って行ったら あなたはシャンカラが行き着いたところへ行き着く 彼は言う “世界は幻だ それは存在しない ただ意識が存在する” これはあまりにも一方的だ 197 01:00:59,159 --> 01:01:16,376 もしあなたが科学の中に入っていったら あなたはマルクスが行き着いたところへ行き着く マルクスとシャンカラは対局にいる マルクスは言う “どんな意識もない ただ世界が存在する” 198 01:01:16,376 --> 01:01:33,426 そして私は両方真実 そして両方間違っていることを知っている 両方真実だ なぜなら彼らは半分の真実を言っている そして両方間違い なぜなら彼らは他の半分を否定している 199 01:01:33,426 --> 01:01:48,408 そしてもし私が全体について話さなければならないとしたら それをどうする 詩がただひとつの道 隠喩がただひとつの抜け道だ これを覚えておきなさい 200 01:01:48,408 --> 01:01:57,150 それでも空を説明しようと言葉は語られるが そのような空は決して表現できない 201 01:01:57,150 --> 01:02:12,198 そういうわけで賢者は強調しつづける “我々が言うことは何であれ 我々は言えない それは表現できない そしてそれでもなお我々はそれを表現しようとしている” 202 01:02:12,198 --> 01:02:21,207 彼らは常にその事実を強調する なぜならあなたがそれを言葉通り取るかもしれない可能性が存在する 203 01:02:21,207 --> 01:02:37,957 空はある意味で あなたはそこに残される物は何もないひとつの空っぽ しかしその空っぽは別の意味で空ではない なぜなら全体がその中に降りてきている 204 01:02:37,957 --> 01:02:58,278 空はもっとも完全に 満たされた現象だ だからどうする もしあなたが “空”と言つたら 突然マインドは何もないと考える そうしたらなぜ悩む 205 01:02:58,278 --> 01:03:12,492 そしてもしあなたがそれは空っぽではない それは最も完全な実在だと言ったら マインドは“野望の旅”をつづける どうやってその最も完全な実在になるか? そうしてエゴがその中に入り込む 206 01:03:12,492 --> 01:03:29,442 エゴを落とすために その言葉“空”は強調される しかしあなたを注意深くするためだ 空は本当に空ではない それは全体で満たされている 207 01:03:29,442 --> 01:03:42,622 あなたがいないとき 全存在はあなたに入ってくる 水滴が消えたとき それは大海になる 208 01:03:42,622 --> 01:03:52,499 それでも我々は言う “意識は輝ける光のようだ” ティロパは言う それはすべての言葉とシンボルを越えている 隠喩に騙されるな 209 01:03:52,499 --> 01:04:08,648 内側に光を想像し始めるな それはとても簡単 “イマジオン” あなたは目を閉じ そして光を想像する あなたはそんなにも夢見の人だ あなたはそんなにも多くのことを夢見られる なぜ光がないのか? 210 01:04:08,648 --> 01:04:24,664 マインドはあなたが望むものなら 何でもつくりだす能力を持っている ただ少ししつこさが必要だ あなたはマインドにきれいな女性をつくりだす なぜ光ではいけない 光で何か悪い 211 01:04:24,664 --> 01:04:44,351 あなたはあなたのマインドに そんなにも多くのきれいな女性をつくりだす 本当の世界でどんな女性も満足できない なぜなら彼女は決して普通の女でやってこない 212 01:04:44,351 --> 01:04:57,797 あなたは内側の体験のすべてをつくりだす すべての感覚はその背後にそれ自身の想像力のセンターを持っている 213 01:04:57,797 --> 01:05:10,577 それは催眠術で起こる その想像力は絶対的な作用で働き始める 214 01:05:10,577 --> 01:05:22,355 そして理性は完全に落ちる なぜなら理性は催眠術で眠る 催眠術は理性 疑う人の眠り以外のなにものでもない そうしたら想像力は完全に作用する 215 01:05:22,355 --> 01:05:28,795 そうしたらそこにどんなブレーキもない ただアクセルだけだ あなたは走りつづけ そしてつづく ブレーキはそこにない 216 01:05:28,795 --> 01:05:41,875 催眠術で何でも想像できる あなたは催眠術をかけられ横たわる人にタマネギを与え そして“これは素晴らしくとても美味しいリンゴだ”と言う 217 01:05:41,875 --> 01:05:52,352 そして彼はタマネギを食べる そして“これは本当に美味しいと言う 私はかって決してこんな美味しいリンゴを食べたことがない” 218 01:05:52,352 --> 01:06:09,636 あなたは彼にリンゴを与え そして言う “これはタマネギだ” そして彼の目は涙を落とし そして彼は“とてもとても強烈だ”と言う 彼はリンゴを食べているのに 219 01:06:09,636 --> 01:06:32,359 何が起こっている 疑う人がそこにいない それが催眠術だ 疑う人が眠ってしまった 今や想像力は働く それをチェックする人がいない これが宗教においてもまた問題だ 220 01:06:32,359 --> 01:06:51,878 宗教は信頼が必要だ 信頼はマインドの疑う能力が眠ってしまうことを意味する それは催眠術のようだ だから人々があなたに“この男 Oshoはあなたに催眠術をかけている” と言うとき 彼らはある意味で正しい 221 01:06:51,878 --> 01:07:11,164 もしあなたが私を信頼したら それは催眠術のようだ 完全に気づいていなさい あなたはあなたの理性を落とした 今や想像力は完全な能力で作用する 今 あなたは危険な状況にいる 222 01:07:11,164 --> 01:07:27,847 もしあなたが想像力を許したら あなたはすべての種類の物事を想像できる クンダリーニが上がった チャクラが開いた どんな種類の物事でもあなたは想像できる そしてそれらはすべてあなたに起こる 223 01:07:27,847 --> 01:07:53,907 そしてそれらは素晴らしい しかし真実ではない だからあなたが人を信頼するとき そのまさに信頼することに あなたはその想像力に醒めていなければならない 信頼しなさい しかし想像力の餌食になるな ここで言われることが何であれ隠喩だ 224 01:07:53,907 --> 01:08:10,724 そして常に覚えておきなさい すべての体験は想像だ すべての体験 私は無条件に言う ただ体験者のみが真実だ 225 01:08:10,724 --> 01:08:20,66 だからあなたが体験することが何であれ あまりそれに注目を払うな そしてそれについて自慢し始めるな 226 01:08:20,66 --> 01:08:34,347 ただすべての体験は幻だと覚えておきなさい ただ体験する人のみ真実だ 観る者に注目を払いなさい 227 01:08:34,347 --> 01:08:46,893 そしてその体験にではなく 観る者に焦点を合わせなさい どんなに素晴らしくても すべての体験は夢 そして人はそれらのすべてを越えていかなければならない 228 01:08:46,893 --> 01:09:09,349 だから宗教は詩だ 人は隠喩的に話さなければならない 弟子は深い信頼の中にいる 彼は簡単に想像力の餌食に落ちる 229 01:09:09,349 --> 01:09:37,711 人はとてもとても注意深くなければならない 信頼しなさい その隠喩を聞きなさい しかしそれは隠喩だと覚えておきなさい 信頼しなさい 多くの物事は起こる しかし覚えておきなさい あなたを除いてすべては想像だ 230 01:09:37,711 --> 01:10:06,606 そしてあなたはどんな体験もない要点に行き着かなければならない ただその体験者が彼の住み家に静かに座る どんな体験もどこにもない どんな対象も どんな光もない どんな花も咲いていない ない 無だ 231 01:10:06,606 --> 01:10:34,34 誰かが臨斉に尋ねた 彼は寺に座っていた 丘のてっぺんの小さな寺だ 彼は岩の近くの木の下に座っていた そして誰かが尋ねた “人が達したとき何が起こるのですか” 232 01:10:34,34 --> 01:10:57,791 臨斉は言った “私はひとりここに座る 雲は通りすぎる 私は観守る そして季節は移ろう 私は観守る そして時に訪問者はくる 私は観守る そして私はここにひとりで座る” 233 01:10:57,791 --> 01:11:12,772 ただ最後は観る者 意識 すべてのものを観守ることが残る すべての体験は消える 234 01:11:12,772 --> 01:11:27,954 ただそのまさにすべての体験する背景のみ残る あなたが残る すべてのものは失われる 235 01:11:27,954 --> 01:11:44,671 これを覚えておきなさい なぜなら私とあなたは信頼し そして私は隠喩で話す そうしたら想像は可能だ “イマジオン” その病気に気づいていなさい 236 01:11:44,671 --> 01:11:57,650 それでも我々は言う “意識は輝ける光のようだ” それはすべての言葉とシンボルを越えている たとえ意識が本質的に空であったとしても すべてのものはそれに抱かれ そして含まれる 237 01:11:57,650 --> 01:12:19,673 それらの主張は矛盾に見える あなたは輝ける意識は空だと言う そして次の瞬間 あなたはそれがすべて そしてすべてのものを含むと言う なぜ? それらは矛盾だ 238 01:12:19,673 --> 01:12:37,57 それがただすべての宗教的体験の本質だ 隠喩は使わなければならない そして直ちにあなたは隠喩の餌食にならないように 注意しなければならない 239 01:12:37,57 --> 01:12:59,446 それは本質的に空だ しかしそれはすべてのものを含む あなたが全面的に空っぽになったとき そうしてのみ あなたは満たされる あなたがもういないとき そうしてのみ 初めてあなたはいる 240 01:12:59,446 --> 01:13:36,383 イエスは言う “もしあなたがあなた自身を失ったら あなたは達成する もしあなたがあなた自身にしがみついたら あなたは失う もしあなたが死んだら あなたは再誕生する もしあなたがあなた自身を完全に消すことができたら あなたは永遠になる あなたはまさに永遠だ” 241 01:13:36,383 --> 01:14:01,41 それらはすべて隠喩だ しかしもしあなた信頼したら もしあなたが愛したら もしあなたがあなたのハートを私に向けて開くのを許したら そうしたらあなたは理解できる 242 01:14:01,41 --> 01:14:21,294 その理解はすべての理解を通り抜ける それは知識的なものではない それはハートからハートだ それはひとつのハートが別のハートへジャンプするエネルギーだ 243 01:14:21,294 --> 01:14:37,410 私はここにいる そして私はあなたに話そうとしている しかしそれは二次的だ その基本的なことはもしあなたが開いていれば 私は私自身をあなたの中に注げる 244 01:14:37,410 --> 01:15:05,739 もし私の話があなたの助けになるとしたら これぐらいだ あなたはもっともっと開く それでその仕事はなされる 私はあなたに何かを言おうとしているのではない 私はただあなたをもっと開こうとしている それで十分だ 245 01:15:05,739 --> 01:15:18,184 そうしたら私は私自身をあなたの中に注げる そしてあなたが私を味わわない限り あなたは私の言っていることを理解できないだろう 246 01:15:18,184 --> 01:15:23,623 今日はこのくらいでいいかな