We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

カテゴリ: OSHOネオタロット

よよよ~~!!
やっと見つけた!英語の原文、、
書いてくれた人、ありがとうございます!!

和尚ネオタロット:カードの順番

01.和尚--究極なるもの
02.コミューン
03.エンライトンメント(光明を得ること)
04.サレンダー(明け漉すこと)
05.究極の事故
06.強欲
07.強欲を超える
08.弟子であること
09.最も偉大な奇蹟
10.価値
11.普通であること
12.受容性
13.知積を落とす
14.信頼
15.傷つきやすさ
16.真似
17.覚醒
18.瞑想
19.中心が定まる
20.理解
21.与えること
22.イノセンス(無垢)
23.祈り
24.力の誤用
25.実用性
26.比較
27.判断
28.自分を受け容れること
29.感謝
30.死/けっして死ぬことのないもの
31.受け容れること
32.小さな家族を超えて
33.再誕生/瞬間から瞬問へ
34.怒り
35.ムードの習得
36.地獄の門
37.天国の門
38.変容
39.創造性
40.全体性
41.失敗
42.心配/不安
43.マインド
44.欲望
45.延期
46.探すこと、求めること、探究すること
47.希望
48.チャレンジ(挑戦)
49.愛  
50.慈悲
51.勇気
52.後悔
53.遊び
54.一点に集中すること
55.セックス(性)
56.献身
57.知性
58.ワーク/ワーシップ(仕事/礼拝)
59.おいで、おいで、それでももっとおいで
60.笑い
osho samadhi समाधिः

osho transformation tarot英語原文
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06 & 07.Greed &Beyond Greed
       強欲
あなたのマインドとその強欲さ、そして信頼の不足に気をつけましょう。
強欲が変容される機会は覚醒を通して訪れます。



7.Beyond Greed  強欲を超える
 なにが与えられていようとも、それは絶対に正しいのだという
信頼に向けて、自分の覚醒の向きをポジテイヴな方向に変えましょう。

そしてこの信頼のなかから、自分自身が感謝こ満ちて踊るのを許すことです。


 インドの偉大な神秘家、ナラダは、神に会いに行こうとしていた。
ヴィーナを奏でながら森を過ぎてゆくと、
彼は樹の下に坐っている非常に年老いた聖者に出会った。 年老いた聖者は言った。   「私からの質問をひとつ、神にたずねてみてください。    私は三生にわたってあらゆる努力をしてきています。    そこで、あとどのくらいの努力が必要なのか、    私の解放はいつ起こるのでしょうか?」と。 ナラダは笑って言った。「オーケー」 さらに歩いてゆくと、別の樹の下でエクターラを手にして
踊り、歌っている若者を見つけた。
ナラダは彼に冗談のつもりでたずねた。   「君も神になにかたずねて欲しくはないかい?」 若者は答えなかった。
彼はなにも聴かなかったかのように踊りつづけた。 二、三日してナラダは帰ってきた。彼は老人に伝えた。 「神に聞いてきた。彼はさらに三生だと言っていたよ」 老人は怒り狂った。数珠を聖典に投げつけた。                彼は言った。  「それではまるで不公平ではないか!さらに三生だと!」 ナラダは若者のところに行った。
彼はまたしても踊っていた。

ナラダは言った。
 「君はたずねなかったけれど、
  ついでに君のことを神にたずねてきた。
  でも、いまとなっては君に伝えたものかどうか……。   あの老人の怒りを見て、私は言い出しかねている」 若者はなにも言わなかった。
彼は踊りつづけていた。
ナラダは彼に伝えた。  「私がたずねたら、神はこう言った。   『その若者に伝えなさい。   〝お前は、その下で踊っている樹についている    葉の数と同じだけ生まれてこなければならない!』             ・・・・と」 すると、若者はさらにもまして
エクスタティツクに踊り始めた。 若者は言った。  「そんなに早いのか? 
  世界にはとても多くの樹があるし、   たくさんの葉がある……たったそれだけ?   今度神のところに行ったら、
  彼にありがとうと伝えてください!」 そしてその若者は、まさにその瞬間に解放されたと言われている。  もし信頼がそれほどまでにトータルだったら時間は必要ない。  もし信頼がなかったら三生ですら充分ではない。   そして、これは私の感触だが、その老人はいまでもどこか   そのあたりにいるにちがいない。そのようなマインドは   解放されえない。そのようなマインドこそ地獄だ。      THE PERFECT MASTER,Vol.2,pp.287・289


50.Compassion
   慈悲
 慈悲は、他人への同情でいっぱいになった血のにじむようなハートを
持っていることではありません--慈悲とは、状況に覚醒をもたらすの
に必要なことであれはなんでも喜んでやるほどの、愛の深さです。


 イエスの生涯で起こったある状況を思い出してほしい。
彼は鞭を取って、エルサレムの偉大な寺院に入って行った。
イエスの手に鞭? これこそ仏陀が言ったことの意味だ--

「怪我をしていない手は毒を扱うことができる」。

そのとおりだ、イエスは鞭を扱うことができる。問題はない。
鞭が彼を圧倒することはありえない。彼は油断せずにいる。
彼の意織はそれほどのものだ。

 エルサレムの偉大な寺院は泥棒たちの場所になっていた。
巧妙な盗みが行われていた。寺院のなかには両替人たちがいて、
彼らは国全体を搾取していた。

 イエスは独りで寺院に入り、
彼らの机--両替人たちの机--をひっくり返した。
彼らの金を投げ捨てて、たいへんな動揺を引き起こしたために、
両替人たちは寺院の外に逃げた。彼らは大勢いたが、
イエスは独りだった。だが、彼はそれほどにも激怒していた。

 さあ、これはキリスト教徒たちにはずっと問題だった。

それをどう説明したらよいのだろう?
--というもの、イエスは鳩、平和のシンボルだということを
証明しようとするのが彼らの努力すべてだからだ。
その彼がどうして自らの手に鞭を取りえたのだろう? 
どうして彼は、両替人たちの机をひっくり返して、
その両替人たちを寺院の外に放り出すほど怒ることが、
激怒することができたのだろう? 

そして、彼のエネルギーは吹き荒れていたにちがいない。
彼らは彼に顔を合わすことができなかったのだ。
僧侶たち、商人たち、それに両替人たちはみな、

「この男は狂ったぞ!」と叫びながら逃げた。

 キリスト教徒たちはこの物語を避ける。
もしあなたが仏陀のこの経文を理解したら、
それを避ける必要はない。


 怪我をしていない手は毒を扱ってもかまわない
 無垢は傷つくことはない


 イエスは絶対的に無垢だ! 
彼は暴力的ではない、破壊的ではない-
それは彼の慈悲だ。それは彼の愛だ。
彼の手にある鞭は、愛の手にある鞭だ。


 THE BOOK OF THE BOOKS,Vol.4,Discourse15

34・Anger   怒り

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禅の学生が盤珪(ばんけい)のところに来て言った。

「マスター、私には自分ではどうしようもない怒りがあります。
どうしたらそれを鎮めることができるでしょうか?」

「その怒りを私に見せてごらん」と盤珪は言った。
「おもしろそうではないか」

「いまはそれはありません」と学生は言った。
「ですから、お見せできません」

「そうであれば」 と髄珪は言った。
「それがあるときに私のところにもって来るがいい」

「ですが、たまたまそれがあるときに、それをもって来るわけには
ゆかないのです」と学生は抗議した。
「予期せぬときにそれは湧いてきます。
そして、それをあなたのところにもって来る前に、
私はまちがいなくそれを失ってしまうでしょう」


「そういうことであれば」と盤珪は言った。
「それはあなたの本性の一部ではありえない。」

「もしあなたの本性の一部であれば、
あなたはいつであれ、それを私に見せることができたはずだ。」

「生まれたとき、あなたはそれをもっていなかった--
--だから、それは外側からあなたのところに来たにちがいない。」

「提案しよう、いつであれ、それがあなたのなかに入って来たときは、
その怒りが耐えきれなくなって逃げ出すまで、自分を棒で打つがいい」



 今度あなたが怒りを感じたら、家のまわりを七回走り回り、
その後で樹の下に坐って、その怒りがどこに行ったのかを見守るがいい。

あなたはそれを抑圧しなかった。
あなたはそれを操らなかった。

あなたはそれをほかの誰かに投げつけなかったのだ……。


 怒りは精神的な嘔吐にすぎない……。
それを誰かに投げつける必要はまるでない……

 ジョギングを少しするか、枕を取って、
 その枕をあなたの手と歯がリラックスするまで叩くがいい。

 変容のなかでは、あなたはけっして操らない

                  あなたはもっと醒めるだけだ。

怒りが起こっている、
----すばらしい現象だ。
       それはちょうど雲のなかの電気のようだ‥・‥・。

 怒りが起こっているさなかでも、
もしあなたが突然意識するようになったら、それは落ちる。
それを試してごらん!自分が熱くなっていて、人を殺したい---

        ---そのさなかに- 突然醒める!!

すると、あなたはなにかが変わったのを感じる。
内側のギア、そのカチッという音をあなたは
感じることができる。
なにかが変わったのだ。あなたの内なる存在がリラックスした。
あなたの外側の層がリラックスするには時間がかかるだろう。
だが、内側の層はすでにリラックスしている。

協力が壊された…・‥もうあなたは同化してはいない。

肉体が冷めるには少し時間がかかる。
だが、中心深くでは、あらゆることがクールだ……。
 クールなとき、あなたは全世界を楽しむことができる。
 ホットなとき、あなたは失われている。---同化している。

あなたはそのなかでどうしようもなく混乱している。
どうしてそれを楽しむことができるだろう?

 これは矛盾して聞こえるかもしれない。

 だが、私はあなたに言おう、
この世界を楽しむのは覚者だけだ。



    AND THE FLOWERS SHOWERED,PP.50-72


16.Imitation
   真似
 自分は他人を真似していないかどうか見てみましょう。
 真似をしていては、あなたのなかにある真正さの種は
 死んだままです。
 
 覚醒の剣を取り、それがどんなに苦痛を伴うものに思えても、
 この真似を完全に断ち切りましょう。
 
 その苦しみは深くまで入らなければなりません。
 しかし、そのショックを通して、
 あなたの自己、あなた自身の真正さが現れます。




 禅のマスター、倶胝(ぐてい)は、
 禅に関した間を解くときはいつも自分の指を立てたものだ。

 非常に若いひとりの弟子が彼の真似をし始めた。
そして、誰かがその弟子に、
マスターはなにを話していたかとたずねると、
かならずその少年はいっも自分の指を立てるのだった。


 倶胝はそのことを聞き及んだ。

そしてある日、彼はその少年がそれをやっているところに
出くわしたので、彼は少年を捕まえ、すばやくナイフを取り出し、
彼の指を切り落として放り捨てた。少年が泣きわめきながら
走り去る間に倶胝は叫んだ。「止まれ!」


 少年は立ち止まった。振り向いて泣きながらマスターを見た。


 倶胝は指を立てていた。
 少年は習慣から自分の指を立てようとした…

‥・が、その指がそこにないことに気づいて、彼は礼拝した。
その瞬間に彼は光明を得た。



 マスターはなにひとつ不必要なことはしない。
指を立てることすらしない……。
倶胝は常に指を立てたのではない。
禅に関する問を解くときだけだった。

   なぜだろう……?


 あなたのあらゆる問題が生じるのは、
 あなたが分裂しているからだ。

 あなたは不統一で、混沌として、調和していないからだ。

が、瞑想とはなんだろう?

 合一に至る以外のなにものでもない。


倶胝の税明は二次的なものだった。
立てられた一本の指が第一のことだった。

彼は言っていた。

「ひとつであれ! そうすればお前の問題はすべて解決する」


 少年は彼を真似し始めた。

さあ、真似はあなたをどこに導くこともできない。


    真似とは理想が外側から来るということだ。


それはあなたの内側で起こっているなにかではない。
あなたは自分の内側に種子をもっている。

もし、あなたが、他人を真似していたら、
その種子は死んだままだ。


 真似は厳しく断ち切られなければならない。
 指は象徴にすぎない。



その少年に厳しくショックを与えなければならないのだ。
その苦しみは彼の存在の基盤そのものにまで至らなければ
ならない。

 非常に強烈な覚醒の瞬間、非常にすばらしい仕掛け……
倶胝は叫んだ。

       「止まれ!」。
   止まるその瞬間、もはや痛みはなかった……。


 身についた習慣から少年は、マスターが指を立てると、
自分が肉体ではないことを悟った
        --自分は覚醒だ、意識だ、と。
        彼は魂だ。

そして、肉体は家にすぎない。

 あなたは内にある光だ--ランプではなく、炎だ。




           NO WATER,NO MOON.DD.104・122

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