We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

カテゴリ: 日記

・・・悩んでいるのじゃ無いだろうか?

  (すでに人間宣言しているとは言え)
  いまさら「天孫降臨」とか現人神とか言ったって
    ホンキで信じられる人は居るだろうか?

  いまさら、「水の上を歩いた」とか「5千人にパンを出して見せた」とか
    いう世迷い言を、現代人が命を張って信じられるだろうか?

平将門公を先祖として持つ関東武士団の子孫である友人は
東京の風水についてこう言った

  「風水効果というのは、最大で400年と言われている」

  「風水都市である江戸も幕末は丁度風水による結界が
     崩れ始めた時期で、その頃に黒船来航があった・・・」

  「そして今は、この東京の風水効果が丁度無くなる頃で有り、
    天皇陛下もそれをご存知のハズだが、でも、かといって
      東京の代わりとなるような風水効果がある都市は他には無い」

家康公は、江戸の設計において将門公の〝怨念〟を
首塚としてまつり、〝祟り神〟を〝守護神〟へと転換させた

・・・それが現代までの国際都市、tokyoを産んだ

そもそも怨念とは何かと言えば、その背景に絶対的な信念があるからだ
将門公は母方が〝相馬〟であり、これは典型的な縄文の家系で、
また彼の家系や幼少期の逸話を探ると〝犬養〟〝蝦夷〟といった
アイヌ系の名字が出て来る

さらには信仰としては〝妙見菩薩〟~〝八幡信仰〟北斗星辰信仰が
見られる

母方の相馬家が養子に迎えた〝千葉氏〟は江戸時代には、有名な
千葉道場へと繋がり、〝北辰一刀流〟を産み出す

江戸の風水には〝北斗七星の信仰〟が仕込んである様
なのだ

北斗七星.jpg

北斗とは、天の基軸の不動の星だ

この〝不動の信仰〟が将門を
〝西の帝〟に対する〝東の将軍〟の都市を守護する祟り神=守り神に
したのでは無いだろうか?

hokutonoken


いま、天皇陛下が江戸城跡に居られると言うことは、この二つが今
合体して日本の首都として機能していることを意味する

であれば、〝大蔵省〟=世界金融システムとのインターフェースも
GHQも、「・・・将門公に祟りの洗礼を受けた」というのも筋が通ってくる

「平将門の首塚」の祟りが怖すぎる

江戸300年の歴史が終わった時点で、本来、江戸時代という
「徳の川が流れる時代」は終わり、それと同時に日本も終わったとも言えるが
それでも、関東大震災、関東大空襲~敗戦という困難を途中くぐり抜け
東京という名で百年続き、今日を迎えたその支える底力に将門公の
北斗信仰があったのかもしれない



それが個人的な狂信であるならば、ここまでのパワーは持ち得なかっただろう

〝人間のマインド〟のあれやこれやの全ての過去の信念体系が崩壊する時まで、
        このパワーが続くのだとしたならば、それはまさしく今かもしれない

                 そこから〝神一厘=0.1%の仕組み〟が発動する


「火の鳥=THE FIREBIRD」全ての過去が焼け落ちたとき 投稿者 maneel-katal


リング=「封印による堂々巡り」から、

らせん=DNAを介した「同じではない繰り返し」へ

そして
ループ=仮想と実相とのアソシエーション=アセンション:五次元移行へ

これを見届けるために将門公の想いは
400年、東京に残り続けているのでは無いだろうか?

リング
鈴木 光司
角川書店(角川グループパブリッシング)
1995-09-27
らせん (角川ホラー文庫)
鈴木 光司
角川書店
1997-11-28

ループ (角川ホラー文庫)
鈴木 光司
角川書店
2000-09-08




感謝の行していて、俺が一番「功徳があったな」と感じた事書くね

俺は
斉藤ひとりさんの「ありがとうは千回言うと奇跡が起きるよ」
という提案にチャレンジしてきたから
コンビニでレジ精算してもらっても「ありがとう~♪」って
自然に口に出る様になったんだけれど、
(一度習慣が付くともう、言わないでムスッと店を出る方が気持ち悪くなる 

その習慣が付いて暫くしてから、「ありがとう」って口に出さなくっても
道をすれ違う他人 にも存在価値を自動的に認められるようになった

その前は、もたもた歩いてる奴を
「ウラぁ~~!!もたもたすんな~~」っていちいち苛立っていたけれど、
最近はあまり苛立つことがなくなった
(「あまり」と言うことはまだあるんだけれどwwずいぶん減った)




でも口に出さなくても無条件で感謝できるようになって、
一番良かったのは、・・・

  「自分自身の存在も気が付かないうちに
   誰かに感謝される存在なのかも知れないなあ」

     っと、自然に思えたときだね

  (ただし、フェイスブックでは馴れ合いやってる連中に
   ケンカふっかけてばっかりだから
   相当、かなり嫌われているけどねwwwww  ブロック喰らいまくり!)

人生で
「自分自身の存在価値」の、「証拠」を探し回っても
なかなか見つかるものじゃない・・・

挙げ句の果てに

   「自分には存在価値なんてないんだぁ~~!!」

っと自己の存在価値の否定街道を、まっしぐらの、グリとグラ!!!




でもね、実はそれって一種の傲慢なんだよね・・・

自分の存在価値って、早々、自分自身で確認できるモノじゃないけれど、

  ・・・いや、だからといって無理矢理存在価値を高めようと、
        ボランティアに走ったり、金儲けや名誉、名声、・・・
        権力指向、上昇志向になっても、

    そんな「取って付けた存在価値」なんてニセモノなのさ・・・


ところが、自分自身が人の背中を無条件に拝める様になると

その!!!   一番、素晴らしい功徳っていうのは・・・

         ・・・・自分自身を崇拝できる様になる
            と言うことなんだ

   しかも!!!   無条件で、でだよ!!

  でもまだまだ、「ありがとう」が足りないのかな?
  まだまだ手放しで、自分の存在を礼拝できるという所まではいってない

OSHOの「自己礼拝」に関する講話




1/3 ジーニアスクラブ -THE GENIUS CLUB-
http://www.nicozon.net/watch/sm4086849

1/3 ジーニアスクラブ -THE GENIUS CLUB-


2006米 トム・サイズモア、スティーブン・ボールドウィン    
part1= sm4086849     part2= sm4087114     part3= sm4087368

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