We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

カテゴリ: 日記

今朝のシャンタン氏との会話をシェアーします

Q: (わたし)

自分は静寂を求め続けてきたつもりですが、
昨夜、その「静寂への欲求」の中に、とっくに克服していたと思っていた
マザコンのようなもの(子宮回帰願望)を発見し、うろたえています

静寂を求めることこそが瞑想の本質だと思って、いままで疑問にさえ
感じ無かったけれど、いまはそこに自分の脅迫観念的なものを感じます

この戸惑いに対して何かアドバイスしてくれませんか?

シャンタン亀仙人の答え



静寂を求めるから、世界を騒音に感じてしまうんだよ
だから、静寂を求めないことなのさ

バガヴァンは「全部あげますよ」と言ってくれているのだから
素直に受け取ればいい、

ファザコンも、マザコンも、「いけないことなんだ」と裁かなければ
そんな観念がなければ、何も問題ない

なるほどぉ~!
それが“委ねる”ってことなんですね?

うん、何も求めないことさ

つまり、
「何も求めない」ことと「素直に求める」こととは・・・・

うん、究極的には同じことなんだ

2015年5月19日あさ9時頃の電話での質疑応答の抜粋要約・・・

「委ねる」と言うことに関して・・・

つまり「自力と他力」と言うことに関しては、私の中ではひとつの結論が出ていた
それは・・・「人事を尽くして天命を知る」ということだ

「いや、オレはまだやり尽くしていない、納得出来ない・・・」っと思うなら
それを貫けば良いのだし、

それが
「もう、沢山だ!」っと思えるならば、
そのときはきっとあなたに “ 委ねる ” 準備が出来た時なんだろう・・・・



その準備完了とは、この記事を読んでいるまさに
「今この瞬間」なのかも知れない

    「もう・・・・、   いいんじゃないだろうか・・・・・・???」

     ・・・・・あなたが自らにそう問いかけた今この瞬間とは
            「準備が出来たから」
                  その問いかけが湧き上がったのかも知れない

さっきまであなたは、意地を張っていたかも知れない、・・・それもぜんぜんOKだ

でもたったいま、あなたは「もうギブアップかも」っと真剣に思えるかも知れない

それは恥ずかしいことではない、
わたしたちは “首尾一貫している” 義務など無いのだ

  ・・・首尾一貫していること (時間的因果律) を手放すのは最大の勇気が必要だ

もちろんそれは、“ジャンプ”の瞬間であり、人生最大の危険を冒す瞬間だ

だから怖いかも知れない・・・  しかし、本当に準備が出来ているならば
もはや選択肢は無いだろう・・・・

それが奈落の底であろうとも、準備が出来ている人ならば躊躇うことなく
飛ぶ・・・はずだ

8.Disciplehood




太平洋戦争での敗戦と、その後の天皇陛下の人間宣言という
わたしたち日本人共通のトラウマは、宗教的な「委ねる」事に対して
非常に大きな抵抗をもたらした

「天皇陛下万歳」の終わった私たちは、本質的には宗教アレルギーだ

わたしたちは世界を見渡す
そして世界を旅し、世界で遊ぶ

そこでふと立ち止まる・・・

   「ところでわたし自身は、一体何ものなんだろう?」

あるものはこんな質問はナンセンスだと笑い飛ばし
また遊び始めるだろうし
またあるものは、この〝妙な〟疑問に取り憑かれて
たちどまり、そのうち頭を抱えてその場にうずくまる

「わたしは〝あれ〟か?」と指さす

「わたしは〝これ〟か?」と思惟する

ところが、これらの探求はすぐに迷路に陥る

  なぜなら「指させるもの」「思惟できるもの」とは
  そうできると言うこと自体が、〝自分以外〟の〝対象物〟だからだ

   そのうち、「指さす指」それ自体も、自分では無い様な気がしてくる・・・

   結論として言えるのは〝わたし〟とはこの世のものではないということだ

  なぜなら〝この世のもの〟は全て、指さし、思惟可能な対象だからだ

だから、指さす対象の反対側に居るのが〝自分〟の正体だと言うことになる
「自分って何だ?」っという疑問点の、まさに出発点に自分は居る
であるなら、〝自分〟とはこの世の者ではない

ジブンとは「具体的、具象的な何か?」では無く、抽象概念だ

じゃあ、〝たかが〟抽象概念だから、何の実体も無いのか?っというと
そうではなくて、この世の全てを感じ取っている中心者なのだから
これが、何一つ実在では無いとしたら、この世界も実在では無くなってしまう

つまり、抽象概念のくせに、世界一大切なのが〝じぶん〟だ

バーチャルとリアルとが、「コインの裏と表」のように不可分に存在しているのだ
それが「じぶんとせかい」だ

この世界における、自分の依り代である肉体が機能停止してしまったら
わたしもまたこの世界での〝のぞき穴〟を失ってしまい、何処か?
別の所に行かざるを得ないのか?・・・それとも相変わらず肉体が無いまま
この三次元空間に漂い続けるのかは分からないが、肉体という接点を失っても
この世界が、実在だったのならば、それを認識していた〝わたし〟も実在だった
ということになる

だから、〝わたし〟が自己確証のために、この世界をいわゆる幽霊のように
彷徨い続けるという可能性はある

しかしその反面、本来は「この世界」と「わたし」とは合い相対する等価なのだとも
言える

禅で言うところの「心身一如」という言葉・・・
この言葉の中の〝身体〟とは、
肉体のことでは無く〝この世界全体〟なのかもしれない


「この」世界に、その目撃者で、体験者である私がもう居ないのなら
〝わたし〟にとっては、この世界は、  ・・・もはや〝過去〟でしかない

〝この〟世界に私を呼び止めるものがいないのなら
わたしは、〝この〟世界を後にして、〝他の〟世界に旅立っていくのかも知れない

新たなそこでは全く別の法則が支配する別の世界が有り、
全く別の楽しみと発見が有るのかも知れない

「気づきの呼吸」
昨日行ってきました
なかなか素晴らしかったです

「呼吸〝法〟ではないんです」
「赤ちゃんは呼吸法なんて学ばずに理想の呼吸をしています」
「だから意識的にコントロールだんていう不自然なことはしちゃ行けないんです!」

っと池田さん、以前見た映画のいちシーンを想いだし
なかなか我が意を得たりでした


注目すべき人々との出会い 2_3 投稿者 maneel-katal

「何がキッカケできたんですか?」という池田さんの問いかけに
「〝骨盤〟呼吸と言う言葉が気に掛かりまして」
「呼吸が浅くて・・・」と会場で答えた私ですが
このブログは私のホームグラウンドなので、
ここに読みに来てくれている人には正直に答えると
呼吸が浅いと言うことは気にしていない

なぜなら、「呼吸が浅い」ということも肉体の意識はちゃんと
理由があってやっていることだからだ

シャンタン氏も
「深い瞑想の中では死に近づき、呼吸がかなり長い間止まる」と
言っていた・・・・  わたし自身もそんな感じだからだ

でも骨盤呼吸というのは確かに興味深いコンセプトで
自然に腹式呼吸に切り替わり、呼吸は楽になる

今朝思ったのは
〝骨盤〟呼吸があるならば、そこからさらにひろげて
〝土踏まず呼吸〟もあるよ!  ってことだ

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土踏まずが緊張したままで骨盤を自由に動かすことなんて
不可能だからだ


また、顎関節が緊張していても、骨盤は引きつってしまう
顎関節はさらにその奥には脊椎が頭蓋骨を支える第一頸椎を支点にしている

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だから
天と地とその中間の〝地平線〟に相当する骨盤との以上三点の
「全身呼吸」というのが、行き着く結論じゃ無いだろうか?

私はこの世界の誰も知らない

この世界の誰も私を知らない

死の間際を考えれば分かる

誰も看取ってくれなくても
誰かが死の淵の私の顔を覗き込んでも
例え手を握って泣いてくれても、泣き叫んでくれたとしても

この世界から消えようとしている私には届かない
誰かが私を知っていると主張しても
それは私が肉体を通して表現したことしか知らない

   また、それは他の誰に関しても言える・・・

私たちは「知っている」という安心感の中に埋もれて生きていただけだった
誰かの死に目を背け続けてきたのは、その錯覚から目を醒ましたくないからだ

私たちは相互に何も知らないし分かってなどいない、いなかったのだ・・・

それなのに、自分の周りを既知で埋めておきたかったから
「私はあなたを知っている」っと宣言してきた
私はあなたの関心を惹こうと、注目と行為を引き寄せようと躍起になっていた

そして「お友達」なのだと宣言したがった・・・

すまない、
私はあなたのことを殆ど何も知らない・・・
あなたも、私のことを何も知らないだろう・・・

だから、〝友情〟などというのは錯覚の代名詞だ

わたしたちは相互に社会的に協力し合う必要最低限のことしか
お互い分かっていなかったし、また、実は興味さえ無かっただろう・・・

興味すら無いことは、その自覚すら持てないだろう・・・・
何かのアクシデント、何かのハプニングによって
たまに、互いの未知の部分が顔を覗かせる・・・そんな時ぐらいだ
相手の知らない側面に気が付くのは・・・・


  そして、「互いに何も知らない」ということを自覚することによってでしか
   わたしたちは何の接点も持ち得ないのじゃ無いだろうか?

・・・・・っと、要求されたら、誰でも不愉快だろう

しかし、デパートの屋上で、怪獣の着ぐるみを着て
スーパーヒーローとのアトラクションというのはアルバイトで普通にある

「三遍回る」というのが、業務的な必然で無いから
こんな風に言われたら、「誰でも不愉快・・・・」と言うだけだ

ハンバーガー屋やコンビニのレジで無料のスマイルを振りまくのも
大事な業務の一環だから、アルバイト達はゼロ円スマイルを
必死に訓練する   ・・・一時間当たり千円前後のカネのために、
ひとはカッコ悪いユニフォームを着せられて微笑む

「業務的な必然か?どうか?」というのは、実はたいして大きな問題では無い
例え屈辱を感じても、苦痛を感じても、それを補ってありあまる
〝代償=お金など〟が貰えるならば、人は皆喜んで「ワンッ!」という

  所詮はそういう世界だ・・・・  いかなるきれい事を並べ立てても・・・・

   本質は  「芸をする・・・・」  すると  「エサが投げられる・・・」

    「お客様は神様です」 っという言葉の本質は、そういう
    「交換条件」をどれ程超えて存在するというのだろうか?

  ・・・・要は絶望的なまでに有史以来続いてきた奴隷制度である

     それに失望して無為に生きれば、世間はニートと呼んで蔑む

  この社会に生まれ落ちて、そして今日まで生き延びた・・・

        ・・・ただそれだけのことが、恥ずかしい、
          ・・・なのに死ねない、だから、もっと恥ずかしい  と感じる

       「貨幣制度が悪いのだ」という人も居る・・・・
           なるほど人は皆、結局の所、「お金の奴隷」なのかも知れない

もしいま私にお金が使い切れないほど有るならば
まずは仕事を辞めてしまうだろう

・・・もう、「三遍回ってワンッ!と叫ぶ」必要は無くなる

   でも、結局の所、多分自分も
     「鞭打たれる奴隷」から
     「鞭打つご主人様」になるだけの話だ・・・

       私個人の役割は変わり、私個人はそれで「ヤレヤレ」であっても、
       別に社会全体が塗り変わるわけでもないだろう・・・

DEVILMAN_05_129



これからは時代が変わる・・・  っとよく言う

しかし、こういった〝奴隷制度〟を演じてきた人々の集団が
どう変われば良いというのだろうか?


優しい人も居るだろう、真摯な人も居るだろう・・・

しかし、総決算として人間の所行とは、もはやどうしようも無いほど
醜くただれていやしないだろうか?

人間の一番のオモチャというのは、つまるところ人間だ
それが人間の本性じゃ無いだろうか?

それが、〝状況が変わった〟からといって、・・・
ミンナいい人になったとして・・・・

それでなにか、
人間の本性が変わったと言えるのだろうか?

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もはや、完全に人間であることを
                〝脱皮〟 するのでなければ・・・・

         あるいは、 〝共食い(戦争)〟  か?
          あるいは  〝自殺〟か?     ぐらいしか

           この陰険な主従関係は際限なく終わらないだろう

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