We are all own definition

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)やBshar(バシャール)を中心に 日々感じたことの防備録です

カテゴリ: 瞑想録









はいっ!では、煩うべき事って、ないんでしょうかぁ~~!!???

あります、あります!  山ほど有りますねぇ~~(笑)

あれも心配、これも気になる、
ああ、そういえば例の件はどうすれば良いんだろうかぁ~~!?

   ・・・・そこで、ヤッパ占いデスよぉぉぉ~~~

          何はなくとも・・・タロットカードですよぉぉぉぉ~~~

      どおせ訊くなら、百発百中の先生じゃなくっちゃねぇ~~~

  さっ、さっ!!どおですか?

 百発百中の占い師に、ズバズバ答えてもらって、気分スッキリ!!
 悩みなくなりましたカァーΣ^)/????



                     増えたでしょ?    悩み・・・・(爆)


       これが人間のマインドの浅はかさなんですよ

           占う占う、~~~占う

  片時もタロットカードを、手放さず


           占う占う、~~~占うぅぅぅぅ~~~


                ますます  増えるでしょ?    悩み・・・・


これはね・・・底なし沼なの・・・占い地獄ってのはね・・・・

「この泥沼は・・・底なしなんだ!」

「占いは・・・当たっても地獄なんだ、外れても地獄なんだ」

それが解るまで、人は苦しみ続ける

          ・・・「もう沢山だ!」と叫ぶまで・・・

多くの人が、それに気が付くまで占いに取り憑かれてしまう
・・・気が狂うまで、・・・サルがマスターベーションをやめられない様に

    人は占いに狂い続ける・・・わたしはそういう人達を何人も見てきた

  そこから正気を保って目覚めた人だけが、
   占いの「その先の小径」を見いだすことができるだろう

    「その先の小径(パス)」を見いだしたものだけが
     人間のこざかしさ、浅智恵としての占いに振り回されることなく
      タロットカードの奥義のパス・ワーキング(ウォーキング)を歩むだろう


澤雷随・・・・雷=ハプニングを澤=悦しむ

なぜ、「ハプニングを悦しむ」ことが「随」なのか?


アディプタス(占いを超えた熟達者)とは、
ただただ、運命の流れと共にあることの価値を知っているからだ

人は、不安になる、人は未来を憂う。

そしてガマン出来ずにカードで、手相で、星で、・・・未来を覗こうと眼を細める

その「覗こうとするスケベ根性」そのものが、実は苦しみの根底なのだ!!

アディプタスは、ただただ瞬間瞬間、ハプニングを楽しむ
ただただ瞬間瞬間の運命に随うと言うことの「英知」を体現しているのだ

フールチャイルドは
瞬間に死に、瞬間に生まれ変わる・・・永遠の新鮮さに生きることを知っている

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易経に曰く
大人には欲はない、
欲がないので吉凶が生じない
吉凶が生じないので、方位現象が起きない

(いつ、何処に向かおうと天衣無縫、無為自然である・・・)
(それが、仙人と呼ばれているものの生き様である)

方位現象が生じないので占わない

しかし憐れなる小人は欲によりオロオロし
未来を案ずる、それゆえ吉凶が生じる
吉凶に一喜一憂するが故に
易占を望むのである


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「不安だから」「覗き込む」

でも

   「覗き込もうとする動機それ自体が不安の原因」なのであって

    「(未来を)覗き込めば不安が解消される」という勘違いが
              本当はますます不安を増大させるのだ!!!

それは、最初は一つの不安かも知れない
それは、最初はちょっとした煩い、ちょっとした好奇心に過ぎない

   で、   それに関して予言を受ける・・・

いままで百発百中だった素晴らしい占い師によって・・・

・・・「それはこれこれ、こうなるよ」と預言されたとしよう

すると、その予言に基づいて、
今度は不安は未来に向かって幾つにも条件分岐していくのだ!!

たとえ、ある占い師がいままでは百発百中だからと言って
             これからも百発百中であるという保証なんか
                             ・・・・何処にもない

      そんなことも煩いの項目新たに加わる事となるし・・・(爆)


最初は一つだった疑問は、気が付くと3っつに枝分かれする

さらに気が付くと、その不安は30に増殖している!!

なぜなら、いまここで直面している問題「ではない」ことに
とっくみあいをはじめてしまったからだ!

   「未来が予測できれば・・・不安は消える」

   「未来がのぞければ・・・煩いはなくなる」

     誰もがそう思っている。



         タロットにせよ、易にせよ、占星術にせよ・・・
         その奥には、最大の密義が秘められている

         しかし、それは「秘められている」が「隠されてはいない」

         「占いの方法論」としては「隠されてはいない」


                 ・・・しかし「密義=錬金術」は?

     それは、「占い」という公然の顔によって
           「占い」という世俗の欲に目がくらんだ者達から

            自動的にヴェールを被って(秘匿されて)いるのだ・・・    




       ・・・・とことんまで、試してみるが良い

        「煩う」ことで、如何なる成果が得られるのか?を・・・・

ナンモノヒカリの霊覚




他人が古いままでいたいのなら、同じ轍(わだち)の中を、

相変わらずのお決まりを動きたいのなら、それは彼らの喜びだ。

グッド!

それは彼らの人生であり、

彼らは自分達のやり方で生きる権利を持っている。

煩いの本質とは、占いの本質とは、このOSHOがいうところの
同じ轍(わだち)の事だ。

マインドというのは保守的で、変化を好まない、リスクを避けるのが
基本的だ。・・・あまりに死ぬほど退屈した時だけ、ちょと物珍しいものを
物色しようとする・・・それもエゴが傷つかない程度、脅かされない範囲でだ。


だから、占いは当たる

OSHOはネオタロットの解説文の中で占いに関してコメントしている

「(それは本当は未来を盗み見しているのではなく)あなたの無意識
(過去の呪縛、未来への不安や憧れ)を読み取っているのに過ぎない・・・」


つまりだから、その古くさいマインド  同じ轍(わだち) を人々が歩む以上は
占いは当たる  

----でも、「占いが当たる・・・」それがあなたの本当の望みなのだろうか?

ヴィパサナ(呼吸を見つめる瞑想)を何時間もしなければ
いけないというのは、かなりアタマが悪い人だと思う・・・
【呼吸法で思考を切り離す】
2014年11月23日

  魚住 心

ヴィパサナは最も基本的な、重要なメソッドではあるが
だからといって毎日義務的に何時間も毎日しなければ
いけない様な瞑想法ではない

「思考を切り離すため」にやったりしているから
ヴィパサナで英知に目覚めるどころか・・・
・・・ウルトラバカ(明晰さ無し) になってしまうのだ(笑)

ヴィパサナをやりながら、一つのクイズに挑戦してもらいたい

   ・・・「クイズに挑戦」ということは、当然、
      思考能力を使えと言うことだ。

ロスチャイルドの御曹司か誰かが百万円の束をいくつか持ってきて
私たちに以下の様な提案をしてきたとしよう・・・

  「一分間呼吸を止める毎(ごと)にこれを一束差し上げましょう」
  「ただし、あらかじめ何分に挑戦するかは申告しなければいけません」

  「あの水槽に入ってもらいます・・・ 申告した時間までは
  たとえあなたがどれ程懇願しても、水中の中から出られませんから・・・」

  さて、あなたは何分を申告するだろう?

     参照:「素潜りの世界新記録」をググった結果


普段から水泳をしている人なら軽く数百万はゲット出来るだろう・・・
しかし、そうでもなければ、1~2分で苦しくなる




マインドをフル稼働させた瞑想が、いわゆる「公案」である
このクイズも一種の公案だと言えるかも知れない

ただし、これは公案としてはたいして難しいものではない

     にもかかわらず!
       何時間もヴィパサナをやるまでもなく、!

        この公案によってあなたは
         一つの重大な事実を発見出来るだろう

  ・・・つまり、人生で最大の価値とは「呼吸が出来ること」なのだ!

    「一分百万円のアルバイト」以上の価値なのだ!

      「ご飯が美味しい」事以上の価値なのだ!

       「快眠、快食、快便」以上の価値なのだ!


    もちろん!、
     私たちは生きている間中、ずっと呼吸している

    っということは、わたしたちは「産声を上げて」から「息を引き取る」まで
    ずっと最高の価値を楽しんでいると言うことになる・・・・!!!!

 あなたは反論するかも知れない
  「最高の価値ですって? いや、生きていく上での最低条件に過ぎないでしょ?」

確かにその通りだ!
 でも その必要不可欠なこと(マルクト:10)こそが、
            最高の価値(ケテル:01)なのではないだろうか?



私の父は、癌で死んだ

   その断末魔の中で、長男の私を呼んで「殴り殺して欲しい」と
   母に頼んだそうである  ・・・・わたしは立ち会わなかったが・・・

    ・・・それほどの修羅場においてでさえ、

      人は自分自身で自主的に呼吸を止めて
              意図的に窒息して自殺しよう
                     とはしないのだ!!!!

   癌の末期の断末魔においてさえ、私たちは最後の一呼吸まで楽しむ!


  だからこれは一つのジョークなのだ!
   わたしたちはずっと、人生で無上の価値を瞬間瞬間楽しんでいる!!

    にもかかわらず、わたしたちは何か刺激がないと、
               すぐ退屈してしまう

    にもかかわらず、わたしたちはいつも何か
              価値ある物事を、物色しているのだ!

 
この「あたりまえのこと」に行き当たった時
あなたは、もう瞑想とは「する」ことではないと分かるだろう・・・・

その気付きの瞬間から、

     瞑想とは、特定のカテゴリーの何か・・・
       ・・・練習だとか、訓練だとか、修行だとか

                   なのではない!っと理解出来る


ヴィパサナのために、
ヨガ・スタジオに月謝を払う必要なんか無い!!!

その気付きの瞬間から、

    あなたにとって「瞑想」とは、

          「マインドを断ち切る」

                        ・・・努力ではなく

       「生の営み、瞬間瞬間を
         意識しつづけること、
           見つめ続ける、味わい続ける行為」

                           となるに違いない・・・・






Corcovado(Quiet Nights Of Quiet Stars)




Quiet nights of quiet stars,
光る星が満ちている静かな夜

quiet chords from my guitar
私が弾くギターの柔らかな和音だけが

Floating on the silence that surrounds us
二人を静寂の中で優しく包む

Quiet thoughts and quiet dreams,
言葉もなく、そっと夢をいだき

quiet walks by quiet streams
静かに流れる小川のほとりを
そっと二人で散歩する

And a window that looks out on Corcovado
そして、コルコバードの展望台から
雄大な山々そして海も見える
 … oh how lovely
あぁ、なんて素晴らしいのだろう !

(ポルトガル語で・・・・)

This is where I want to be
Here with you so close to me
Until the final flicker of life’s embers
これこそ命が燃え尽きる最後のひらめき
あなたと二人きりで過ごしたい
それを望んでいた場所にちがいない

I who was lost and lonely
途方にくれ孤独にさいなまれ

believing life was only
The bitter tragic joke
I found with you
人生は辛く、悲しい冗談なのだと
信じていた私が、
あなたとともに見つけることが出来た

the meaning of existence … oh my love
存在することの意味・・・・愛を




成功法則や心理学を学んだことがある人は

  「☆出来るだけ多く、相手からイエスを引き出せ」

っというのをいの一番に学んだのではないだろうか?

「今日は良いお天気ですね?」 「あ、ええまあそうですね」

みたいに、他愛のない会話からはじめる場合でも、まず否定のしようがない
反論や議論のしようがない話題を相手に振り、なるべく、「うん、そうだね」と
言わせなさいとまずは教える

この「イエスのレール=軌道」が形成されさえすれば、セールスも成功しやすいよ
っというわけだ

まだ無名で、人数も少ない新興宗教などにおいてはこの法則はまず
「現代社会の歪み、問題点、危険性・・・」等々を説いて、普段から先々の不安を抱く
身寄りのない、孤独なお年寄りや、 トラウマを抱えて、社会との軋轢を感じている
若者などに適用される

これらの「将来の不安」を明るく否定出来る人は、そう多くはいない

この問題定義で首尾良く「イエス」を勝ち取った営業マン=教祖様は、次に
「私達は(マスコミや創価学会などに妨害されて)まだ知られていない存在ですが
凄い集団なんです!意識レベルの高いエリート組織なんですよ!」

「あなたがいま、私の話を聞いているのは、奇跡なんです!神のお導きです!」

「ものすごい針の先の様な小さな確立のなかであなたは今、私の話を聞いています!」

「あなたは選ばれたのですよ!!」っとくる

  ・・・・選民意識を持たせる・・・  これもこういった教祖様の常套手段だ

OSHOだったらさしずめ、

「さあ、ひとは存在している以上は、どっかに身を置かなければいけないですしねえ・・・」と言うだろう

1/4「あなたはすでにカンペキなんですけど、何か質問ある?」


序章:バシャール「あなたの中に全てはある」

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本編:バグワン・シュリ・ラジニーシ(和尚)レクチャー字幕 By zowgen

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人は褒め称えられて多くの場合は嬉しい、そして、「選ばれた」と聞かされて
まんざらでもない・・・

  そういう称賛を拒否することはなかなか難しいし
  そういう称賛をしてくれた相手を拒絶するのは難しい

この様に、「説得」し、あなたは「納得」する
でもあなたが知性的ならば「でも・・・」っと、いくつかの疑問を質問するかも知れない

それに対して、また、上手に「説得出来」、首尾良く「納得」を勝ち取る・・・

そういうのを繰り返していく内に、「イエス」は積み重ねられ、後戻りが
徐々に難しくなっていく

選民意識というステージに乗ったなら、あなたは世紀末救世主伝説の出演者
になれる。

  いままで誰にも見向きもされなかったとしても、・・・・
  いままで誰も、あなたを理解してくれなかったとしても・・・・

     いまやあなたの背後には神の使命と御言葉があるぞ~っというわけだ

しかし、本当の愛に触れた経験のある人ならば、こんな罠にはかからない
なぜならば、選民意識を持つこと、そしてステージに上がり、教祖の言葉の
伝道師になることとは、「自分は死んではいけない人間」になることを意味し、

そしてそれは、人々に対する強い優越感・・・つまり分離感をもたらすのだ
結果として、どんどん人間離れしていき、神格化し、・・・・

  実を言えば、その強い優越感、分離感は逆に深い「死」の不安と恐怖を
           招くからだ・・・・

    なぜならば、人間離れ、神格化、・・・・というのは、「死」からの逃亡だからだ

愛に触れたことのある人は、決して、そういう浮世離れが良いことにならないことを
よく判っているのだ

はじめは、あたりまえな「納得」の地道な積み重ねだった

しかし、「イエス」を積み重ねていく内に、かなり身勝手な前提の話にまで
私達はいつしか「イエ~~ス!」と叫んでしまっている。 ・・・「踏み絵」を踏んでいるのだ

本当の愛を知っている人達とは、大地に根を持っている
けして遊離したりはしない・・・・

だから、たとえ天気の話にまでは微笑して肯いても、けっして「踏み絵」は踏まないのだ





あなたは

「あの時もし、こうしていれば、ああしていたならば・・・」 と
思い悩むことはあるだろうか?

私にはいっぱいあった

人はなぜ、過去を振り返り、後悔したりするのか?

その原因は、テレビドラマ「トリック」の上田教授が明快に教えてくれる

「トリック」の上田教授7

  彼(元ネタはジミーカーター)の言葉は正しい

どんな局面であろうと、もし「自分は精一杯やった」という思いがあるなら
たとえ残念な結果であれ「やむを得ない」と諦めが付くからだ


しかし、わたしは「何と言う絶妙なタイミング!!!」という出来事が
いままであまりにも多かった・・・  それゆえに“実力では気がつけなかった”
パズルを幾つも説くことができた

それは
単なる言い回しではなく「みんなのお陰」だと思っている

わたしと敵対し、もう二度と会うことがないであろう相手にも、
いや、むしろそういう人に対してこそ、・・・・そう思う。

だから、そのなかのいくつかでも言語化出来たものをこのブログで
「ご恩返し」したくて書いている要素がある


そこで、はっとするのは、こういった緻密な運命のスケジュールの計算をしているのは
一体誰なんだろう??  っということだ

到底私のお馬鹿なマインドには不可能だ

ヘタをすれば、全地球規模の人々の都合、社会組織の事情、動き、
いや、生物界全部、いや気象状況などの自然現象全てさえも、この
「運命のスケジュール」に組み込まなければ、こんな正確で緻密な計算は
不可能ではないだろうか?

だから

わたしたちはいろいろ「自分で決めている、選んでいる」と思って生きてはいるが
実際の所、それはとんでもない思い違いなようにしか思えない

私達の瞬間瞬間の「思いつき」ですら、この地球規模の計算結果の一部なのでは
ないだろうか?

  つまり言いたいのは・・・・

私達は、
知らず知らずに「ベストを尽くしている」のではないだろうか?
っということだ。

そうだとしたら、
「ああ、あとちょっとこうしたら助かったのに・・・」と言った様な後悔は
無根拠なのかも知れない

この見事なまでの存在のアレンジメントを何度も体感してしまうと、
もはや、「反省でさえ傲慢なのかも知れない」という思いに駆られる


でも、いわゆるハイヤーセルフが、「こう言う体験をさせて後悔させる」ということも
たぶん織り込み済みなので、それは一概には言えないのだが・・・・




「エンライトメントすることは素晴らしい・・・」
っというのは、現在の私達の目線だけれど、光明を得るとは
最も自然なこと、あたりまえの現象なのならば、わたしたちは
この「下から目線」を変更した方が良いと思う

恋をする、憎む、・・・悲しむ・・・・

私達は別に「超人」になる必要は無く、
ただ、じぶんのネイチャーを楽しめばいいのだ

それが出来ないのは、自分のネイチャー(特にセックス)を
卑下する習慣が何世代にもわたってしみついてしまったからだ

じゃあ、この「何世代にもわたって蓄積した習慣」を
ぬぐい去る為に、また何世代もかかるのか?といえば
そんな事はないだろう

気の遠くなる様な長い期間閉ざされた闇も、一条の光によって
さっと、明るみにすることが可能なのだ

「自己卑下、自己否定の長き闇の洞窟」・・・ 闇とは、すなわち「病み」である

仏とは、スーパーマンではなく、もっとも、当たりまえの、健全な人ならば
自己否定とはビョーキに過ぎない

ビョーキの状態を「あたりまえ」と認識しているのがいまの社会なのならば
その認識から脱するだけで、
わたしたちは「健全さ」に確実に踏み出すことが出来るに違いない。

そして、
その一歩さえ踏み出せるのなら、全治まで、(いままで病んでいた)私達が
想像するよりも、はるかに短い期間しかかからないだろう

   ・・・「それ」 は、始まれば、早い!!!!

シッコ コレクターズ・エディション / 洋画
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