not alone???

いや、ちがう 私たちは、皆単独の存在だ。

We are all alone !!!

それこそが、真実、それこそが事実だ。



あなたはある日、恋人とサヨナラしたかもしれない
その時、あなたはとっても悲しかったことだろう・・・・

あなたはある日、一匹の捨てられた子猫に
運命の出会いを感じ、その子を部屋へと招き入れた。

風邪を引いてぐしょぐしょになったその子は
でも、あなたの乾いた部屋を見回し、
震えながらもあなたの部屋を探検して回った。

その時のこころのふくよかな温もりを、
ひとつの命との新たな出会いのときめきの感触を
あなたは忘れていないだろう。
いや、忘れることは出来ないだろう。

あなたが悲しかったこと、嬉しかったこと、
それを一番知っているのは、アナタだけだ、
この広大な世界の中で・・・・

そういう意味で、私たち誰もが間違いなく
   all alone だ。


その時の歓びや悲しみを、人に話すなら
ある程度理解してくれる人や、よく似た経験をしていて
共感してくれる人も、あるいはいるかも知れない。

確かにそんな人の理解に、すがりたいときもあっただろう。

でも、その理解の深さや、理解してくれる人の人数がどうであれ
それがあなたの最深部にまで届くことはない。

あなたが、人生の瞬間瞬間で、
       それは例え日常的な、
        ありふれた、何気ない瞬間であれ、

         それらの瞬間瞬間は
          完全なるあなただけの宝物だから・・・

         前人未踏の、宇宙発の、 この「空気の底」での
                           体験ばかりなのだ




そういう意味で、私たち誰もは間違いなく

   all alone なのだ。

じゃあ、私たちは皆、lonly=孤独なのか?
lonly の宿命を宇宙の終わる日まで
背負い続けなければいけないのか?

いや、それもまた違う。



いや、Alone と Lonly とは、全く別物だったのだ!

私たちは、alone = “単独者” “唯一者”であることを恐れてしまった!!

誰かと、分かち合いたかった。
自分の人生を、  その瞬間瞬間の感触を・・・・

それ自体は、別に悪いことでも、間違った動機だとも思わない。

でも、自分自身への尊厳を失った瞬間、
わたしたちは他人の言葉や、無理解、無慈悲さ、鈍感さ、否定感が
自分自身に侵入することを、浸食することを、許してしまったのだ!!

あなたやわたしはその瞬間から、alonenss 「唯我独尊」 の玉座から
転げ落ちてしまったのだ。

あなたも、わたしも、大樹から転げ落ちた一匹の裸の猿として、
オロオロと地上を徘徊するようになってしまった。

でも、だんだん気がついてきた。

わたしたちは、一度、群れから投げ出される必要があったと言うことを
金魚鉢から飛び出して、死にかからなければならない金魚であったことを

でなければ、金魚鉢というのがどんな世界なのか?
永遠に目撃することはなかっただろう。

憐れな、か弱い、群れて生きている人達・・・・

かもめのジョナサン完成版
リチャード バック
新潮社
2014-06-30



だんだん私たちは、自分が生まれて来るときの動機を
思い出してきた。

ここから、旅立とう。





この群れから、立ち去ろう ・・・・

いや、たとえ野垂れ死にするのだとしても、
もうこの予定調和と談合の腐った八百長の世界にだけは・・・・
  もう、   死んでも、戻るわけにはいかない。





  そう激しい決意をしたとき、私たちは
  もう「羊と羊飼い」の関係、人工家族=宗教組織も
                       拒否することになった

 私たちは

    ゴーダマ・シッダルータの道

    「天上天下唯我独尊」の道

    自己尊重を奪回する道筋を、  知らず知らず、辿ってきたのだ。

                              We are all alone     but     We are not lonly