ペットショップで動物を買ってきて

     「ボクの家族です」

    とか言っている悪魔の様な人間がなぜこんなにも多いのか?
    こういった類の人間というのは、妻や息子、娘を幾らで買ってきたのだろうか?

      たとえ家族でも、飽きれば、手に余ったのなら
                    保健所で殺処分するつもりなのだろうか?

金で買ってきた人命を、 これ 奴隷と言う。
金で買ってきた動物は、 これ 家畜と言う。

  これらの命を売買する商売には、昔も今も、ユダヤと朝鮮カルトが関与している
  そして、動物たちの命を救おうと奮闘する人達に暴力的な妨害を今もしている。

殺生を忌む仏教が浸透していた日本では
基本的には四つ足を食べる習慣はなかった。

   牛馬は人と一緒に田畑を耕す“家族”であり、“労働力”であった。
   犬は警備要員であり、猫はネズミの駆除を担っていた。


でも現在の動物たち、家畜には二種類の運命が待っている

      屠殺されて肉にされるか・・・・

      ペットにされて慰みものにされるか・・・・

   いまの私たちにとっては、牛や豚、鶏は殺して食う専用で
     人々は、ベルトコンベアーで屠殺された牛の肉を、これまた
     牛馬の様な待遇の店員によって出だされる
     250円のどんぶりにのせて喰らい・・・・

     犬、猫、などの動物はペットとして慰みものにする。

     ビールのコマーシャルで黒いラブラドルが流行れば
     ペットショップではいわゆる“黒ラブ”特需が起き、
     そしてさらにしばらくすれば保健所の殺処分を待つ部屋に
     黒ラブが溢れかえる

     アイフルのコマーシャルでチワワが出てくれば
     ペットショップではいわゆる“チワワ”ブームが起き・・・・
     以下略)

     以後、その繰り返し・・・・

       ペットとして品種改造された憐れな命は
       コーギーやらボストンテリアやら、・・・ 
       遺伝子レベルで人間にオモチャにされた
       この可哀想な子達は、自然界には存在しなかった
       不自然な体型である為、短命であったり
       苦しんで死んだりする

     この問題を調べていた十年度前に、私は精神を病んでしまった。
     その後遺症が、このブログである。

犬猫は動画でアップされて「かわいい」とはしゃがれる反面
年間一万頭以上は保健所で殺処分される

そのような殺処分の個体を減らそうと活動する人達が
猫カフェなどに連れて行くと、ペット利権団体が
深夜に店舗を破壊したりと言った暴力(犯罪)行為をしてまで妨害してくる

                ・・・・ なのに、報道さえされない (怒)


こういった動物たちへの残虐な社会性のルーツを辿れば、
   「神が七日で世界を作って、最後に人間を作った」
                    という旧約聖書に行き着く

そして動物に対してこの様な仕打ちを平然と出来る人間は、
基本的に動物だけではなく、まずは人間を家畜のように見なしている。

      つまり、自分の家族や雇用者も“所有物”と見なしている。
       常に、心理的に支配し、その自由意思を踏みにじっている

  愛は、          全ての存在を命あるものとして扱い
   愛の欠如は、     全ての存在を無機的な物体として扱う

☆ 食肉に関して

  玄米正食の世界では「食は遠くて近いものを選べ」という言葉がある

   つまり、種族としてなるべく遠いもの・・・哺乳類でも爬虫類でも魚類でもなく
                            昆虫や、植物が、良い

   そして、なるべく生活地域の(風土の)近いもの・・・とくに植物。(野菜、果物、穀物)

                        を、摂取した方が健康によいとされる。

   内視鏡を開発した日本人ドクターとして有名な
   新谷 弘実
(しんや ひろみ、1935年 - )氏は、
   「体温が人間より高い生物は食べるな」という。

    つまり、牛や、馬、鶏など、温血動物のなかでも特に人類は、
         かなり低い平熱でも血行が保たれ、細胞は癌化しない
         この人間の体内に、高体温を維持しなければ腐敗してしまう
         温血動物の細胞を摂取するとどうなるか?

         人間の(特に日本人の)長い腸を通過する際に
         人間の体温では“保温しきれずに”癌化、つまり腐敗しはじめる

         これが、肉食による発癌要因のメカニズムなのではないだろうか?




    私の住むアパートの隣にも、ニートの息子と母親とが生活していて
    その母親の、息子をなじる声が、しょっちゅう聞こえてくる

その声を聞くごとに、私はいつも思う・・・「おー やっとるなあ~~~(笑)」

  ・・・・その母親の、グチグチとなじる声が絶えるその日が来るまで、
     この地獄の家畜ゲームはつづくことだろう・・・・

      いや、もし人に輪廻転生があるのならば
      この母子は、来世では親子(加害者と被害者)の役割を交代して
      また、「子供ペット化無間地獄ゲーム」を続けるかも知れない

      ヒステリックなお説教で、人が変容することは
      永遠にないだろう。  状況が悪化する以外の変化はありえない

     息子を手放せない、息子から“子離れ出来ない”
     バカ母の、・・・ムスコ=ペット化の無間地獄ゲーム・・・・
     それを、“愛”なのだと信じて疑わない劣等感に蝕まれたカーチャン...

     日本中のニートや、マザコン創価学会員達が、
     この自立不能・劣等感ゲームの渦中にある

「愛」の美名の下での家畜化・・・・

    大いにやればいいのだ、
    苦しみ続ければいいのだ

    ・・・・この無限ループのゲームを、「もう沢山だ!」と思うまでね
 

         わざわざペットショップで金を払って買ってきた、
          自分で望んだ、地獄のゲームなのだから・・・・




全ての、時間が尽きるまで・・・
全ての命が、絶え果てるまで・・・・


和尚ネオタロット:59.Come,Come,Yet Again Come
   好きなだけ、繰り返せばいい 
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