よく政治家の汚職だとか横領だとか税金の無駄使いう話題になると
「オレ達の汗水垂らして納めた税金が・・・」という
       義憤に駆られたコメントを見かける。

でもこれこそが私たちが受けてきた洗脳じゃないだろうか?

「この国はオレ達の血税が支えているのだ」という
 自負心や参加意識、責任感、それ自体は素晴らしい。

そしてその自負心故に、私たちは脱税などに怒りを感じるのだが
でも考えて見れば、「お金を発行できる政府」が、
本当に私たち庶民からかき集めた雀の涙のような税金頼みで
果たして国家予算を組んでいるのだろうか?
元々日本政府自体がばらまいたお金なのに???

1100兆の財政赤字、とは、
日本政府が国内に流してきたお金の内、
税金などで帰ってこなかったお金の総額に過ぎない。
つまり国民の間に流通したり貯金されたりしているお金の総額のことだ。
    これを果たして「赤字」とか「借金」と呼ぶべきなのだろうか?

 政府は何故?、徴税する権利を有するのか?
この「疑い」は
 国民が失業、廃業、自殺しまくっても増税する、その根拠を脅かすものだ。

先週、
ベーシックインカム映画を製作した市民活動家、増山れな氏や
政党「オリーブの木」事務局に、私は電話して訊いた。

「低所得者に対する課税は最低限の文化的水準の生活さえ脅かす、
国家権力による憲法違反なのでは無いか?」

「にもかかわらず住民税などを納付しない人々に対し、
自治体は給料の天引きを裁判を経ること無く
強制執行してまで納付させようとしている」

私のこの疑問に対する増山氏の回答は
「バカバカしい。早く電話を切らせてくれ」であり、

オリーブの木の事務方の回答は、
「納税は国民の当然の義務だ」
「納税が困難ならば、窓口に分納などをお願いに行けば良い」
「それが国民の義務だ」っというものだった。

私が言う「低」所得者、貧困者の定義とは、
怪我や病気、あるいはその他の理由で解雇されたり働けなくなっただけで、
即、家賃などの滞納など、生活の転覆と直面せざるを得ない人々のことだ。

即死はしないまでも、タイトロープの生活している人は、
たとえ年収1千万があったとしても、
わたしの定義から言えば、私自身も含め、
「最低限の文化的生活水準」さえ満たしていない「ド貧乏」の一員である。


私の両親は、当然のように土地付きの一軒家を建てたが
私の世代では(いつのまにか)すでに
「マイホームなんか夢のまた夢」になってしまっている。

大地主や大企業経営者などの既得権者優遇の「格差拡大政策」が、
生涯、真面目に働き続けても「終の棲家」さえ得られない社会が
一体どんな非婚化、少子化対策など可能だろうか?

脱税容疑でガサ入れを受けても、
貯金も無ければ金の延べ棒も無い、
生活必需品以外は
差し押さえできるような様な資産を
何ひとつもっていない人は、
明日の生活をも知れぬとんでもないド貧乏人だ!!
そんな私たち貧乏人の給与から
税金を強制的に差し押さえ天引きするのは
間接的な殺人行為
であり
憲法違反
なのだ!

それを主張することから初めて日本の国民主体の政治は始まる。

チガイマスカ?
私たちはあまりにも我慢強すぎたのだ。
それを見事に悪用されているじゃないか?

たとえ憲法を冠していても
憲法をアクティベートできない日本国民とは
「お侍様、悪代官と収賄あきんど」
そして「町人、百姓、夜鷹」の社会のままなのだ。

格差社会というのは、
私たちの自覚が全く追いつかないほど凄まじく加速している。

「アベのスシ友」以外は、
正直言って「明日をも知れぬ」時代では無いだろうか?

そんな一握りの「支配者」と「被支配者=奴隷」との二極構造に
いつの間にか日本はすでに成っている。

その二極の見極めというのが、「税制」に現れている。

平たく言えば、
「合法的に殆ど非課税な超・特権階級、タックス・ヘブン者層」と
「その他、重税に苦しむド貧乏・明日をも知れぬ殆どの奴隷達」だ。

ここで、
「そもそも税金とは何か?」を改めて考えなければいけない。
私たち日本人の大半は、「百姓」であった。
そして私たちの「税金」のイメージは
江戸時代の「年貢」をそのまま引きずっている。

たとえ生活が苦しい、凶作であったとしても
為政者(に「貧乏人は水を飲め」と言い下される・・・、
 それてもハラも立てず、叛乱も起こさない。
そして「お上」への直訴とは命がけの大それた事・・・。

・・・どうだろうか?
納税義務に対して、あなたもそんなイメージを持ってないだろうか?
私たちの「税制」に対する「神聖にして犯さざるべし」イメージとは
まさにそれであり、それは市民活動家・増山氏や「オリーブの木」も
例外では無い様に思える。・・・
たとえ安倍政権やロスチャイルドを批判しても
かれらはそこに手を付ける意思はない。


現代は「武家と商人、農民」の封建社会では無いはずだ。
政治家や官僚、公務員、大企業経営者やマスコミとは
私たちの「支配階級」なのではなく、
私たち一般市民の公僕、代理人、代行人、
わたしたち消費者、クライアントのサーバーに過ぎないはずだ。

しかし彼らがあたかも「支配階級」の様に暴走して、
法を犯し、法をねじ曲げて、その支配を絶対的にしようとしている。

つまり、日本国憲法にせよ税制にせよ、
本来はそういった
「権力者の民主主義に対する謀反」
「経済的な独占、ひとり勝ち」にブレーキを掛ける為の「安全装置」なのだが
いまだに私たちは「土下座して年貢を納める百姓」でありすぎるのだ・・・。

欧米諸国に対してデモクラシーの歴史が圧倒的に浅い我が国としては、
やむを得ない「疎さ」だったかもしれない。
その「疎さ」の終着点が現・安倍政権なのだろう。

しかし、
「殆どの人々が貧困化」している今とは、
「私たちは皆、貧困者に転落してしまったのだ」という痛烈な自覚と同時に、
「課税すべき1%と課税すべきではない99%とが転倒してしまっている」
ということに刮目するチャンスだ。

「年貢」と違って、現憲法下での「税制度」とは
「お上のお沙汰」「特権階級の支配ツール」などではなく、
「私たちの為」にある。


「圧倒的に貧困化してしまった
  ---多数者=わたしたち---
        の為に憲法は存在している」
「それゆえにいま、
 この主権を少数の特権者達から奪還することは
        とても容易くなっている・・・」

あらゆる安倍政権批判よりも、
かれらが私たちに「気付いて欲しくない」ことはまさしくそこだ。

私たちは「生活困窮者」なのだ。
スピリチュアルや自己啓発で言う
「いま私たちは豊かだと自覚しましょう」
     というのも真実であり、
     たとえ飢餓で死を迎えることとなっても
     「明日を煩わない」人は「ソロモンの栄華をも超える」
     しかし、それはまた別のことだ。

「私は貧しくない」と強がったり虚勢を張る必要も無ければ、
  全てを自己責任に抱え込んで追い詰められて、自殺する必要も無い。
  困窮の理由を求めて陰謀論に逃げ込んで現実逃避しているヒマも無い。

それよりも
「課税されている99%と課税されていない1%がアベコベの政治だ!!」と
                声を大にして訴えるべきなのだ。

税のシステムの存在それ自体は、善でも悪でも無い。
経済格差を拡大する為にも機能するし
経済格差を埋めて経済の集中独占化、
そして経済の政治やマスコミへの浸食化を阻止する為にも機能できるのだ。

ベーシックインカムのような
「新しい足し算」を考える前に
従来のシステムである税制という
「憲法違反の引き算」に異議を申し立てるべきなのだ。