あなたの一瞬の思い・・・、
つまり「一念」にシンクロして
三千世界が塗り変わる状態を想像してみて欲しい。

その時あなたは、
時間や空間や、
その他あらゆる障害となり得る概念を
 いつまでも保持し続けることは出来ないだろう。

その状況をあなたは体験したのならば、
たぶん一般的な意味での正気を保ち続けることは難しいだろう。
これが
ドラッグのオーバードース(過剰摂取)などによって
死に直面した時、「意識が全開した」時にあなたが垣間見る世界だ。

・・・・その世界が「生命のふる里」でもあるが故に、
全ての生命にはエロスとタナトス(死のやすらぎ)への願望がある。

ところが
全ての願いが瞬間的に叶う絶対的な自由、無限の自由においては、
それが「自由なのだ」と自覚することは難しい。
あなたやわたしの本質とは「自由そのもの」でありながら、
私たちはそれを自覚する為には
「不自由さ」が、実は必要なのだ。

生命体として肉と同一化する体験とは、
まさしくこの
「不自由とのコントラストとしての自由」をもたらしてくれる。

だから睡眠によってみる夢は、
死に近づいてはいるものの
生の同一化も残ったままなのだ。

生き物たちは皆、眠りという「無限世界への里帰り」をしながらも
この自己同一化が残っているからこそ、肉体の世界に帰ってくる。

「いまここ」とは、
肉体的な不自由さを受け入れたまま、
肉体的なアイデンティティーの意味合いを理解し、それを脱皮することで見えてくる。

人も動物も、
物理的には常に「いまここ」で生活しているが、
「生き残る:SURVIVE」という〝手段〟に気を取られ、
拘束されてしまっているが故に
「生きる:LIVE=いまここ」を発見できない。

それゆえにある程度、
サバイバルに気を取られ過ぎない為の〝文明の発展〟が必要だ。

動物たちも
人間の文明の恩恵を得て、サバイバルから離れてリラックスすることで
厳しい自然界では得られない「生きることを楽しむ機会」を得られ、
知性が発達する。



しかし完全な「いまここ」への目覚めは、人間にしか無理だ。
人間のみが文明の発達の為の言葉や記号、数字の概念を駆使しつつも、
さらにそれらを超えた無限に自由な生命のふる里に、
肉体の不自由を持ったまま帰還できる。
それこそが「いまここ」・・・つまりゼロ次元=ノーディメンジョンだ。