トランプは「宗教的な迫害とは徹底的に闘う」と言っている様だ。
しかしじゃあその「宗教を迫害している奴ら」とは誰か?

ヨーロッパの歴史とは同じ旧約聖書を根とした「ユダヤ、キリスト、イスラム」の
三大宗教が、いわば三つ巴の骨肉の争いの歴史だ。

そうだ、
宗教の敵、宗教の迫害者もまた、常に宗教なのだ。
そして私から見れば唯物主義の様な「アンチ宗教」もまた、「宗教」の一種だ。
               ---だから、何と言う自己矛盾なのだろう!

そこにひとつの信念体系があるならば、その存在自体が暴力的なのだ。
信念体系とは何かに対する絶対的な肯定があり、
そしてそれ以外の信念体系(いわゆる宗教も含んだ)に対する、
絶対的な否定や嫌悪、差別感や蔑み、敵愾心があることを意味する。
 「宗教~信念体系・・・
 それそのものが
 人々の魂の解放と自由を目的としているんだよ」
        っと反論する人は多いだろう。

  しかしその「自由の探求」「解放へのあがき、悶絶」
  それそのものこそが、まさしく〝不自由さ〟なのだ。

上記ビデオで語るホストの及川氏自身が幸福の科学の幹部であり、
ユダヤ教徒であるトランプの訴える「宗教の自由」を
「我が意を得たり」と熱心に紹介している様に見える。
私には及川氏が「トランプの威を借る狐」に見えた。

しかし、トランプ氏にせよ及川氏にせよ、
「宗教信者」という人種はいつも
「他人の自由と尊厳を好き勝手に奪う自由」
  を振り回しているのでは無いだろうか?

アグネス・チョウの守護霊を語っているっという大川隆法氏は、
果たして、
「アグネス・チョウの守護霊を語る自由や権限」があるのだろうか?

他者の自由と尊厳とを可能な限り尊重することこそが、
自らの自由を主張する上でのファースト・ステップのはずだ。

確かに
様々な宗教教義や神話を個人的に信じ込むことは、個々人の自由ではある。
人が何を信じるか?何を信じずに拒否するか?
私はそれは非常にプライベートなことがらだと思っている。
個人的な信念をパブリックに共有しようとさえしなければ、
他者や他の組織との衝突や軋轢など起こらないだろう。
ところがそれをパブリックな社会組織にしようとした時に、
たとえその人達同士で多くの信念の共通項が得られたとしても、
もうそこのひとりひとりの微妙な違いは抑圧され始めている。
内部組織でさえそうなのだから、
まったく異質な外部とはなおさら大きな軋轢が起きる。

ユダヤ人の名前の中によく見られる「バーグ(城壁)」。
宗教組織とは、信念体系の共有集団とは
まさしくこのバーグの形成であり、これが「敵と味方」を作る。
あらゆる心理的、物理的な暴力はここからはじまる。

様々な宗教が団結して、「宗教の自由を訴える」っだなんて
何と言うちぐはぐでけったいな状況だろうか!?
城壁は敵、外界からの防御の為だけにあるのでは無く、
外界に対する自らの遮断、封じ込め、ヒキコモリでもあり、
それ自体が「不自由さ」「外界からの敵意」という代償を伴っている。

何種類かの宗教、互いが本当に融和している訳でも無いのに
互いに相手に対して鼻をつまみながら共闘して、アンチ宗教の偏見や差別と闘う?
          それこそが「不自由さの集会」そのものの様に見える。


最も宗教的な偏見がない、差別が無い、あらゆる宗教に寛容なのは、
ほかならぬ我が国、日本では無いだろうか?
それは何故かと言えば、我が国は世界でもっとも〝非〟宗教的民族だからだ。
八百万の神を崇める神道そのものが、もっとも無色透明な宗教性だと言える。

映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」にこんなシーンがある。

「何か注文しろよ!」
「え?じゃあフリー(砂糖抜きの)ドリンクを頂戴」
「なんだよ!ウチの店にはフリー(無料の)ドリンクなんかねえぜ!」



ユダヤ教徒だろうがキリスト教徒だろうがイスラム教徒だろうが、
それらは全部「砂糖 ( =宗教教義、前提とする世界観 ) 入り」だ!!!!!
そんな
「砂糖中毒」の連中が集まって、
フリー「~砂糖抜き」を要求するとは?
泥だらけの手で
「泥の付いていないものをくれ」と手を突き出す様なものだ。

あらゆる混ぜものがない純水だけが、
あらゆるものを受け入れられる・・・・

もしあなたが
何の偏見もない、
混じりけの無い純白な対応を
他者に向かって求めるならば、

   「まずその汚い手で、やれ自由だの平等だの、
       周囲にあれこれ主張するのを止めろ!」
            っと言わざるをえない。

「宗教的自由」とは、ある意味で確かに究極の自由なのかも知れない。

わたしたちが生まれてくる前にいた、
あるいは死んだ後に行く肉体無き世界が、
もし、無限に自由な精神だけの世界なのだとしたら、
私達は敢えて肉体の中に「不自由さ」を体験しに来たのかも知れない。

そして、その中でも究極の「ガンジガラメ・スペシャルメニュー」とは
宗教~つまり信念体系の中に自ら埋没することなのかも知れない。

そして、
そして、である・・・
この究極の不自由体験ツアーの中での
さらに究極を究めたトッピングこそが、
「宗教的自由を主張すること・・・」かもしれない(爆)