夢を見た。

・・・自分自身の身体が方舟になる不思議な夢だった。

   政治にも宗教にも、
   この世界には方舟(救済)は見つからないだろう。
   なぜなら誰であれ自分自身こそが方舟だからだ。

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ソクラテスの「無知の知」とは、
ある意味もっともコンパクトに語られた究極の真実ではあるが
私達は日常では決して「究極の真実」について語り合ったりはしない。
    なぜなら「日常」と「究極の真実」とは相性が良くないからだ。



日常での人間関係では、「真実」とは手頃な話題とは言えない。

時々、フリーエネルギーの開発が時折話題になり、
私たちはそれごとに人類の新時代のあけぼのを期待するのだが、
その後のニュースは途絶えてしまう。
そしてその開発者は不審な死を遂げたりする。

これはもちろん陰謀論のカテゴリーの話だ。

でも「真実」は、
そう簡単にマーケットプレイスの中に開示、共有されることは無い。
それは「ケチっている」「もったいを付けている」からじゃない

・・・本当にそういった開発研究を抹殺しているのは誰だろうか?
それは
「無意識の内に新しい世界に同意できない私たち自身
ではないだろうか?

救済を最も切望している「はずの」私たちが
同時に救済の方舟を破壊している犯人なのかも知れない。

本当は「救世主」も「迷える子羊」も存在しないのかも知れない。
だとすれば私たち自身が方舟だとしても、
その方舟には一体誰が乗り込むのだろうか?

「誰も・・・」だろう。



もしあなたがたったひとり、
人類最後の生き残りだったとしたら?

もしあなたが
「真理を共有した方舟で共に生き残る仲間達」を探していたならば、
きっとあなたは落胆し、
自分だけがひとり生き残ったことを呪うかも知れない。
でも誰ひとり理解者も、同意者も、協力者も期待しなかった時こそ、
あなた自身が永遠の方舟になる。

完全に人から理解や同意を得ることに絶望した時に、
その人は「空っぽの方舟」になるのだろう。