本田健氏の講演内容の中にこんなのがある・・・・

なぜ渋谷駅前などのような目立つ場所にホームレスが多いのか・・・?
それは敢えて人の目に付く場所で自らの見窄らしい姿をさらすことで自分達は悪しき腐敗と不条理に満ちた社会の被害者であることをアピールしているんだよ・・・

確かにこの社会には多くの矛盾や理不尽さ、差別がある
そしてそれは「動かぬ目前ににした事実」であるかのようだ

しかし本田健氏の視点から見れば、原因と結果とは逆さまなのかも知れない

 「悪い社会」→「憐れな人々という被害者」なのではなく
 「被害者を演じることで社会に責任転嫁したい人々」が
  「様々な矛盾に満ちた社会」を演出している・・・というわけだ

この〝見方〟が全てに当てはまるのか?といえばそうではないと思う・・・
本当に不当な仕打ちを受けている被害者という事例も沢山あるとは思う
しかしまったく「降りかかった災難」の様にしか見えないことも
「この世に偶然など無い」という観点からすれば
「何か私たちの目には見えない原因、法則」が作用した結果なのかも知れない

「実相としてはこの世に加害者も被害者も、存在しない」
         っということが真実である場合のみ
    「いまここがすべて」ということが成り立つ

世の中は全て、常に動き続けているのは、常にバランスに向かっているからだ
エントロピーの法則だけが全てなのならば、時計の振り子が右や左に揺れていても
いずれは中央に静止するだろう

しかし、そんな日は決して来ない

なぜならこの世の中ではたとえ一つの振り子が静止しても、
またすぐ別の振り子が動き始めているからだ

  「バランスこそが神」
  「ニュートラリティー(中立性)こそが神聖」
と言った場合
   右と左との単純な中間点のことをいう場合が多い
   しかしそれは一時的な左右の妥協点に過ぎず
   その神は中央に静止した振り子の様に死んでいる

そんな神は永遠に現れることは無いだろうし
また、現れる必要など無いのだ

   「待つべき完全なる神、完全なる世界、マインドの停止」
は決して来ない
   世界は常に揺れていて、常に動き続け、流動し続けるのだから・・・

ディオゲネスも渋谷のホームレスも、社会的な立場としては同じだ

45.Postponement 延期





しかし、本田健氏の洞察が正しいのなら、両者の内面には大きな隔たりがある

それは社会に対して公正を要求した被害者意識があるかないか?だとおもう
    カンペキな公正な社会を待ち望んでいる人間には安らぎは無い
    彼等に本当の安らげる日は、きっと来ないだろう

    しかし天衣無縫のディオゲネシスの美しさは
      「自分がいまここにいること」
       に対する完全な同意が源になっている

    彼にとっては行為と無為とが表裏一体だからだ
    彼にとって、自分が不完全であっても、それが完全なのだ
      だから、世界が不完全であっても、それが完全なのだ

     彼にとっては、もはや完全さや静寂を要求すべきものは何も無い

      なぜなら完全さと不完全さ、静寂と音楽とは表裏一体だからだ


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マインドが
論理的だと言う時、
それは
「マインドは直線的に進む」
ということを意味する。

生が弁証法的だと言う時、
それは
「生は直線的ではなく、
 正反対のものと共に動く」
ということを意味する。