・・・の補講として書きました
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あらゆる存在は毒にも成るし、薬にもなり得る

その典型例が〝消毒〟だとおもう
消毒とは即ち「毒をもって毒を制す」ことだ

キッチンハイターの原料である次亜塩素酸ナトリウムは
もともとナチスが開発した毒薬だそうだ
しかしこれを適切な濃度で利用すれば
私たちは日常生活を衛生的に保つことが出来る

プールサイドの特有な臭いも次亜塩素酸ナトリウムだ

しかし、過度の潔癖症に陥りやすい日本人は特に
〝消毒魔〟に陥りやすく、過度な潔癖症は
細菌やウイルスに対する耐性を失わせてしまう


菜食主義も危険だ
わたしは「たまには肉も食べろ」と言っているのじゃない

何であれ〝主義〟〝信念体系〟となったものは
その場その場における流動的で柔軟な判断能力を曇らせてしまうのだ


科学文明が人間を地球の王者にしたことは間違いないが
過度な科学文明信仰こそが、いまの地球環境の危機的状況を招いている

科学文明が私たちに
非常に沢山の有益な選択肢を提供してくれていること自体は間違いないが
その選択肢から瞬間瞬間「何を選択するべきか?」といった場合、
私たちは自ら産み出した「便利なツール」に振り回されているきらいがある

・・・そしてそれは特に、自らの肉体の健康法と言うことに関しては顕著だ

   私たちはまさしく「健康法やらダイエット法やらに踊らされている」
   っと言って、差し支えないのじゃないだろうか?


究極的にそれらの〝何を〟選択するのか?ではなく〝何が〟しているかが重要だ

  ・・・それは私たちひとりひとりの本能だといえるだろう

    本当のプリミティブな自分、
    つまり本能が、
    最終的にはあらゆる選択決定のキャスティングボードを握っている

    本当は今までの、「いわゆる科学的に正しいと思える」選択ですら
    最終的には、その決定責任者とは本能だったのだ・・・!!

自由とは常に2種類有る・・・

  「知性的に選択する自由」と「いまここに在る自由」であり
  その後者こそが「(科学的知識も持った上での)本能的選択」だと思う

OSHOは
「主義主張で菜食主義になるのではなく
 瞑想者とは自然と菜食に移行するだけだ」
  と言っていたが、
  それは、・・・・つまり瞑想とは、すなわち
  「本能を研ぎ澄ます」という事でもあるのじゃないだろうか?