瞑想の中にあっては
他者が存在する外界はコンパスの穂に相当する
コンパスの脚は自分自身の背骨だ

自分自身を軸として
穂である世界が浮いている

でも愛の中にあっては
逆にコンパスの脚である自分自身が浮く

Compass(1)




軸は「こっち:脚」か?「あっち:穂」か?
それが瞑想と愛との違いだろう

しかしどっちを浮かせても円は描けない
「我と汝」とはペアの概念だから・・・

何かを中心として円(縁)を描き続ける以上、
私たちは人生の堂々巡りからは脱出出来ないのだろう