優柔不断な生き方を している者たちは、
本当は人間ではない。
そして何百万もの人々が 優柔不断な生き方をしている。 <続き>



誰であれ、何であれ、
存在し続けている以上、
それはすなわち
何かを選択し続けていることを意味する

非局所性を失い、
どこかに身を置いている訳で、
そしてそれは
何か、どこかに所属していることを意味する

たとえば結婚している以上
離婚という新たなアクションを起こすまでは
「結婚を持続する」という選択を
自動的に決定し続けていることを意味する

それは様々な可能性を失ってしまうことの様に見える
しかし実際には
一つの選択は新たに無限の可能性をもたらす

   どのみちあらゆる可能性は
    温存することなど出来ない

   撒かれなかった種子は単に腐ってゆくだけだ

新しい開花は確かに
新しい失敗の可能性
あらたな損失、消耗をも、もたらすだろう

しかしその失敗、その消耗こそが
同時にあらたな可能性の開花をももたらす
それなしでは何一つ可能ではない

 可能性の温存とは
  人生のあらゆる可能性をケチった
   窒息死という結果以外、もたらさない

 それゆえ人生の瞬間瞬間が生死を分かつ決定、決心の連続だ
 だからそこに違いがあるとしたら
 その決心に無意識的、受動的に立ち会うのか?
 その決心を意識的、能動的に関わるのか? ・・・その違いだ

49.Love 愛