動画1:「自分自身の責任を引き受けなさい」


上記動画では
「眠っていたのじゃ責任の取りようが無いだろう?」と
           OSHOは語っている

確かにその通り!
しかし、質問者だって昏睡状態で質問しているわけでは無い
それでもなおかつ「君達は皆、〝眠っている〟のだ」っという---

つまり、私たちの日常的な認識としての
「覚醒状態と昏睡状態」とは、OSHOが認識しているそれと
明らかに違うのだ・・・ だからこれはあくまでも「たとえ話」なのは
サニヤシン達の誰もが理解している・・・
動画2:「信念はあなたを愚鈍にする」


上記動画では
「あなたたちは『質問や疑問が知性を研ぎ澄ます』探求の入り口にいるが、
 『問いと答えが消え失せる』レベルこそが探求の終局点なのだ--」
とOSHOは答えている・・・

これも、考えて見ればもっともな話だ
仮に問いや疑問が残っている状態が探求の終点であったならば
そのターミナル駅においても私たちは考え続け、緊張し続けることになり
それでは永遠の業火に焼かれることになってしまう

しかし
「知っている」という状態と「知らない」という無垢な状態とが
何の矛盾も無く「同じ事の両側面」と理解出来る様な、
〝神秘的な世界(境地)〟など、本当に有り得るのだろうか?

動画2において、質問者はそもそも
「個であることとエゴイスティックであることとの境界線はどこなのか?」と
OSHOに質問している

それに対し、OSHOは・・・・
「個であること~つまり〝光〟の属性が持ち込まれたなら
 もはやそこにエゴ~つまり〝闇〟の属性のものは消滅する」
「だからその両者が棲み分ける境界線など存在しない」
   ・・・そう解答しているわけだ

動画1にせよ動画2にせよ
「ひとりあること---アローンネス」とは何か?
     を掘り下げてみると
      判りやすいことかも知れない

自分自身の責任を完全に取ろうという決意は当然、
「アウェアネス」や「アラートネス」を喚起する----

    ・・・でも、それはアローンネスがあってこそなのだ

群衆の中に隠れていたら私たちはアローンネスの中にいられない
「みんな一緒だから」という油断は
 〝醒めて〟いる必要をぼやけさせてしまう
常に誰かや群衆のリーダーに責任転嫁したり
 社会規則や常識を持ち出して、
  個々であることは意識しないで済む
  ・・・つまり「目を開けたまま眠って」いるわけだ

「信念の中に自分を埋没させている」ことも同じだ
つまり信念とは一見、目には見えないが「アタマの中の群衆」なのだ

   ドグマ~教条や、前提とする原理原則、
    特別な哲学大系(ものの考え方、捉え方)・・・

これらは私たちのアタマの中に〝携帯された群衆〟であり〝社会〟だ
  たとえ無人島でロビンソン・クルーソーしていても
   椰子の木にカレンダーを刻み続け
   手元に偶然残った聖書を何度も読み返していたならば
    私たちは「恋しい」社会の中の一員のままだ
     私たちは〝帰属した〟ままなのだ

群れを成す、家族主義であることによって
私たち哺乳類は今日まで生き延びてきた
それは極めて有効な「生存戦略」だった

  だがしかし、
  いつまでもママのおっぱいにしがみつき
  おしっこをあちこちにひっかけて縄張りゴッコをしていたのでは
  私たちはいつまでもアローンネスに目覚めることは出来ない

武田鉄矢氏がラジオ番組「今朝の三枚おろし」で
「国家とは戦争を前提とした、戦争をする為の区分けだと理解するべきだ」
っという言葉を紹介していたが、国境とは巨大な「おしっこのライン」なわけだ
五井野正氏が言うところの「黒縄地獄」(やくざ、政治家の世界)だ

それが〝宗教〟分野となればバラモン界であり、
やくざ、軍人、政治家のクシャトリア界よりはカースト的には一段上ではあるが
しかしそれでも「信者の頭数争い」をしている様では何も変わらない・・・

  私たちがもし、
  その〝黒縄〟の内側で惰眠を貪る、
  温和しい「沈黙した羊たち」のままである以上、
  私たちは「自分自身の責任に目覚めたもの」とは到底言えないし
  羊たちの従順さを「真の信頼」だとは到底言えない

   「自分達は安全だ、社会が保護してくれる」
   「いざというときはリーダーの責任だ、社会が悪いのだ」という
              護送船団方式を盲従しているだけなのだ

立派な教会で祈っていることが、本当の信仰心ではない
筋金入りの信念を持って闘う人を私たちは英雄視するが
それは私たちが常にヒーローや救世主を待望する依存心からだ

「羊たち」は常に群れの中から「人(羊)柱」を提供するが
それを「やむを得ない犠牲」・・・一種の税金なのだと納得してしまう

あじの群れが一緒に泳いで大きな魚から逃れようとしているのと同じだ
「一部の犠牲」はやむを得ず、そのおかげで「大多数は助かる」と納得している
死はまだ来ないだろう、自分の順番はまだまだ先だろうと無根拠に思っている

   OSHOは「あじの群れになるな」と言っているのだ
   しかしだからといって同時に
   「社会を放棄しろ」と言っているのでも無い

   なぜなら問題は物理的な所属にあるからなのではない

   確かに社会の中での保護された繰り返しの日常は
   ある種の緊張感を忘れてしまい易い・・・

   確かにヒマラヤの奥に隠遁して瞑想三昧の環境を選ぶならば
   「私はひとりだ、ここは静かだ」と意識しやすい・・・

   しかし環境選びに血道を上げても
  その実際には
   脳内の社会属性意識から逃避しようとしているだけだ

   「環境を選別している」段階に、
   すでに「アローンネスが環境に依存している」という妥協がある

「(探求の)旅の始まりにおいては質問や疑念が知性を磨いてくれる」
っとOSHOが認めている様に、
はじめは「良い環境を選んで」
 理解の無い親元から思い切って自立して、ひとりで自活し、
  世間の風の冷たさを一身に受けて見るのもいいかも知れない

 OSHOの瞑想リゾートもいいかもしれない。
  テイク・サニヤス(OSHOの弟子になる)もいいだろう

しかし、「ここは悪い」「あそこが良い」と言うこだわり、選別が
いずれは頑固な信念体系を生じさせる
信念でおのれを律する、そのこと自体が依存であり
依存によって成立するアローンなど、アローンネスとは言えない

OSHOは「愛の究極が瞑想だ」と言っているが
探求の旅の始まりは「愛」からなのだとも言えるかも知れない
ここでいう場合の「愛」とは必ずしも男女の愛とは限らない
たとえばゴーダマ・シッダルータは「生老病死」の痛みを感じて
出家を決心したが、これもまた「愛」ではないだろうか?

愛とは単純に特別な誰か?特別な何か?を感じることだと思う
特別に大事に想う誰かや何かがなければ、探求心も生じないだろう
始まりには「欲」がある・・・ 誰かや何かを特別視する「欲」だ

そして、その「欲」を追求してゆく為には、質問があり、疑念があり
「これが良い」「あれは違う」といった比較、選別、の知性が必要だ

しかしそうするとやがては
比較、選別、のプロフェッショナル、エキスパートになっていく
「特別なメソッド」は確かに世に重宝されはするが、だんだん
「手段」が「目的」へと主客転倒してゆく・・・・

・・・これが
  OSHOが指摘するところの「眠り」「知性の愚鈍化」ではないか?

はじめは「愛」からスタートしたものが
気が付くと「社会の歯車」になってしまう

それが最初の動機である「愛」を純粋なまま成長させることが出来れば
沢山の〝特別〟が広がりと深みと、多様性をもって成長してゆく・・・・

つまり単にヒマラヤに逃避してしまったのでは
その「愛の密林」は育まれることは無いのだ・・・

数多くの「特別な関係」「特別な体験」は、愛のジャングルで起きる

しかし「特別であること」がある臨界点を突破する --その時、
もはや「特別であること」が「特別ではなくなって」しまうだろう

もし「全てが神だ」というならば、--その時、
「あれも神」「これも神」と指さして回ることに果たして意味があるだろうか?

「全てが神」である時、「神」という言葉は意味を失う

「何かを知っている」と言うこと自体が囚われであり、無知である
「何も知らない」という自覚こそが英知であり真の自由なのだ

   もはや特別な何かを探求し、指さす知性は意味を成さなくなる

    それが「愛の究極の到達点~瞑想」の境地では無いだろうか?

106
00:09:13,130 --> 00:09:16,690
・Holy Bibles,
・聖書、

107
00:09:19,100 --> 00:09:24,450
Gitas, Korans -・no.
ギ-タ、コーラン -いやいや

108
00:09:25,100 --> 00:09:29,700
Then there is only one scripture
そのとき、聖典はただひとつだけ

109
00:09:33,730 --> 00:09:37,050
which is spread all around you
あなたのまわりにあるもの、すべてだ

110
00:09:37,130 --> 00:09:44,080
-・in the trees, in the rivers, in the ocean, in the stars.
木々の中、川の中、海の中、星の中で。

111
00:09:47,730 --> 00:09:51,880
And you don't have to read it;
そして、それを読む必要はない。

112
00:09:52,180 --> 00:09:55,080
you have to be just silent,
あなたはただ静かでなければならない、

113
00:09:55,110 --> 00:09:58,420
and it starts showering on you
それらはあなたに降り注ぎはじめる