自分と正反対の波動を無意識に引き寄せてしまう、と言うのは
日常でも良くあることだ ・・・それは嫌悪感や恐怖感を伴う

「捨て去ろうとする」のでも 「ぬぐい去ろうとする」のでもなく・・・
とバシャヤンが言うのは、それらは 強迫観念に基づいた過剰反応だからだ
自称スピリチュアルの人達でも こういった自分達の拒絶反応する対象に、
「悪」だの「闇」だのという レッテル貼りをして
自己正当化したりしてるのをよく見かける・・・

どれほど銀河連邦がどうだの無条件の愛がどうだの
高次元へアセンションがどうだのと
スピリチュアル用語を並べ立てていても
自らの恐怖の理由を外側に指摘しているのは
もっともスピリチュアリティーから遠い
もっとも「スピリチュアル」という言葉を
     悪用した行為じゃないだろうか?

「手放すとは、自分の波動内に取り込んでゆくこと」と
バシャヤンは言っているが、
つまり
「それは自分自身の内面から発せられたものだ」、
という自覚のことだ

高所恐怖症にしても閉所恐怖症にしても
そのパニックは
「コントロール不能だぁ~!」という
 ホールドアップ(お手上げ)な思い込みから発生しているのであって
「高い」「狭い」という物理要因が
恐怖の直接の引き金ではない、っとバシャヤンは説明している

  あらゆる
   特定の運命的体験は、
   特定の個性のデザインが引き寄せている

わたしたちは本来は無限存在として
「デザインされた個性」なのではなく
「個性をデザインしたワンネス」である・・・
 そうバシャヤンが説明しているところが
 「個性とは外付けのエネルギー(に過ぎない)」という表現に該当している

「個性とは本来のありのままのあなたを表現しているのではない」
っと言う意味だ

個性イコール自分、っというアイデンティティー~自己同一視が
アン・コントロール感を抱かせて、私たちをパニックに突き落としているわけだ