人は皆ひとりだ
それはあまりにも歴然とした回避不能の事実であり
そんな事は誰だって分かっているはずだ
しかし、私は今までOSHO程の
「ひとりであること」の体現者を見たことが無い

「誰かに理解してもらいたい」という焦りや不安が全くない人には
とてつもない静寂の空気が漂っている

単に「オレは自立しているぞ!」という信念に凝り固まっている人間は
周囲に張り詰めた空気を漂わせる

例えどれ程弁舌爽やかであれ、
言葉に終始一貫性と説得力があっても
その結果多くの追随者を従えているカリスマであっても、
〝本物の〟群衆から離れた孤高の静かさを持っている人で無ければ
そこにはかならず人々を「どこかに駆り立てようとする」強迫観念が・・・
   ・・・・・・・〝狂気〟の波動が多かれ少なかれ発せられている

「ひとり」に徹している人
「いまここ」の自分にオッケーでありきっている人が
追随者を、理解者を、信者、弟子、ましてや兵隊を必要とするだろうか?

いまだ国防が必要な人達、国境が必要な人達とは
いまだ、守るべきものがある人達だ

幼虫には、まだまだ守るべきサナギの殻が必要なのだ

でも
全ての人達にとってのゴールとは
無限の自己尊重に達することにある・・・

・・・そこに達した人には、もはや守るべきものは無い
             もはや語るべき事も無い

ただただ無限に開け放たれた、境界無き世界が広がっている・・・
そして壁の無い、すべてが受け入れられた世界には
マインドも、あらゆる喧騒もない

OSHO用語で言うところでの「センター」とは、堅いコアの存在なのではなく
瞬間瞬間、空に移ろいゆく白い雲のように変化して言っている自分が
      ・・・手放しにされた
         空っぽの空間のことなのだろう・・・

28.Self-Acceptance   自分を受け容れること