05

千代能は重い水桶を運びながら、
ふと見上げた、あの夜空の雲間に浮かぶ美しい満月にみとれた・・・

そこにはコントラストがあった

   夜空に凜として涼しげに浮かぶ満月・・・
 ・・・それを見上げ、重たい水桶を担ぐちっぽけな自分。

男達が群がるその美しい顔を切り裂き、焼いてまでして
  修行に身を投じて何年経っても、彼女には何も起こらなかった

だから、遠い月を見上げながら、重い水桶を運ぶその己のすがたは
まさしく彼女の今までの人生の縮図だったのだ!

・・・その瞬間、
  いままでの千代能の人生の全てが、
    月を見上げたまさにその一瞬に濃縮されていた!

     そのことに彼女自身が気が付いたに違いない

      たしかに、ちゃんと・・・その時、
      ・・・その時、確かに彼女は満月を捕まえていたのだ
             その重たい水桶の水面(みなも)に・・・

しかしそれはもちろん、本物の満月では無かった
あくまでもまがい物、桶の水に投影されたものに過ぎなかった
しかもそれは、自分が自ら望んで担いでいる水だった
男性達の中にあえて顔を焼いて混じり、
男性達と同等のノルマで運んでいる水桶は、
 彼女の腕に食い込んでいたに違いなかった

きっと彼女はその時、疑問に思ったに違いない
「いったい何で私はこんなところで、こんな事をしているのか?」
「この揺らめく月の光を運ぶために???」

そのナンセンスが、・・・不条理が、・・・疑問が、
          彼女の心に一杯になった、その瞬間・・・
一撃が彼女に起きた・・・桶の底が突然、抜けてしまったのだ!!!

どっと流れ去る水と共に、彼女の両肩はガックリと脱落し、
その神秘的なハプニングは彼女に「修行の終わり」のチャイムとなった

    「月の投影」を運び続けていたのは、他ならぬ自分自身だった

誰に命令されたのでも無かった、
彼女は誰の被害者でも無かった
彼女は運命の犠牲者でも無かった、

 桶の底が抜けると同時に
 彼女が後生大事に運び続けていた「投影の月」もかき消え
     それと同時に全宇宙が、彼女に流れ込んできたのだ

延々と「水桶を運び続けてきた人」は、その時消し飛んだ
実際のところ「水桶を運び続けた人」など、はじめからいなかったのだ
しかし「はじめからそんな人はいなかった」と宣言しても、
それがいったい誰に?どうして理解可能だろうか?

「水桶を運び続けた人の物語り」とは、
この宇宙が描いた〝方便〟に過ぎなかった
しかし、
  この方便があってこそ
   初めて「その人」は消え去ることが出来るのだ

     はじめから「いない人」は、消え様がない

それゆえにOSHOは言う

 「あなたは『私は存在する』と宣言しても良い」
   「なぜならあなたはいずれ消え去るからだ」



この千代能のエピソードは、鎌倉が舞台の史実ではあるだろうが
          同時に美しいファンタジーでもある

・・・全ての人にとっての、
   ノンフィクションで有り、フィクションであり、神話だ

全ての人の、全人生も、過去世も、来世もまた
千代能の話と同じく、実話で有り、同時に悪夢も含め、ファンタジーだ

「私は存在している」という何十年もの、長い長い実感があってこそ
その宇宙大の重みは「消え去る」事が可能だ

「千代能などいなかった」
そして、それと同時に
「あなたもいなかった」・・・

「修行者が消え去る」という「修行の終わり」、
            〝方便の完結〟を通過してこそ・・・、
その後に
「なぁ~んだ!、はじめからジブンなんて存在しなかったのか!」と
              大笑いで無限の自由を実感できるのだ

この宇宙の全ての全てが
「存在」し、同時に「存在しない」という重ね合わせの中にある
    私たちは量子力学が誕生する前から素粒子的存在だったのだ