自由には2種類ある、っとここで何度か書いた・・・

   「選択(意思)の自由」と
   「選択しない(委ねる)自由」だ

これは煎じ詰めると

   「すべてを思いのままに支配する自由」と
   「すべてを手放して得る自由」でもある

大概、私たちが追いかけているのは前者の自由なので
お金や権力、権限、出世を追いかけることになる

でもこの「獲得して得る自由」には
常に他者や社会集団、環境が関与する

私たちは寝ても覚めても〝関係性〟の中にある
夢の中は純粋に主観的な世界であるのにもかかわらず
そこには日常生活での恐怖や欲望がかならず投影される

つまり、私たちの意識下に
自由を阻害するのは、「他者」や「社会」だ・・・
・・・「あいつのせいで!」「こんな世の中だから」
     というヴィジョンが常にそこにある

しかし、こういった外部的要因の
障害や軋轢が、もしすべてなくなってしまったら
本当に私たちは自由や創造性を感じることが出来るだろうか?

全く抵抗要因が何も無い、
対抗者も居ない「無」の空間に投げ込まれたならば
 たぶん私たちは自由を感じるチャンスも
      創造性を発揮するチャンスも
    状況を突破する革命のチャンスも失うだろう

他者との嘆かわしい程の異質性、無理解こそが、
図らずも驚くべき同質性に気付かせてくれたり、
    相互理解の悦びをもたらしてくれる

他者が課してくる制限や衝突、諍い、様々な困難こそが、
実は自由や平和、創造性がなんであるかを感じさせてくれるのだ

その時、
  「支配によって獲得する自由」とは、実は大変な不自由を引き起こす・・・
         っというカラクリを、私たちは痛感出来る

カネや権力で相手を黙らせ、従属させる奴隷制度が、
              今世界を被っているが

     それは間違いなく
     「束縛する者」「される者」の両方を
           同時に奴隷化しているのだ