私は
悪や、偽善を暴くことが、
世界的な覚醒の一助になると思い込んでいた時期が長かった

でも少なくとも個人レベルでは、
そういった「正義感による暴露」は
必ずしも良い結果には繋がらなかったと振り返る

むしろ逆にますますストラグルが起き、混乱が増す
それは日常的な場面では相手を怒らせたり、立場を失わせることになる

狡い生き方の様に見えるかも知れないが
なるべく衝突を避け、自分自身だけは火の粉が掛からない様にして
華麗にスルーするべきなんだなと年を重ねるごとに思う
  ・・・負けるが勝ち、である

ただただ起きていることを見守っていれば良い
状況を改善しようと躍起にならないことだ

「そんな日和見主義だと、被害者が増える一方じゃないか?」
 という声もあるだろう

しかし、〝被害者〟というのは〝加害者〟と
同じ円環(カルマ)の中に元々いる人達だけだ

逆に言えば、その円環の中にいない人は
たとえ物理的な状況ではすぐそばに居合わせても
決してその円環の渦中に巻き込まれることはないだろう、決して!

・・・そもそも、その円環の近くには居合わせていないことが多い

もし日本人が在日朝鮮人やユダヤにダマされ、支配され、
苦しめられているのだとしても
そこにはカルマ的に全く無関係に起きていることはないだろう

この世界は大きく、この宇宙の歴史は長い
その巨大な渦の中にあって、
「現在起きていることの、何が遠因で、それがどんな結果をもたらすか?」
その因果関係を明瞭に指し示すことは難しいだろう
ここで明瞭なのは、
「その因果関係の解明は殆ど不可能に近い程難しい」という一点だけだ

だったら私たちは、
誰が本当の被害者で、誰が加害者なのか?を、言い当てられるだろうか?
それを今、目の前で見えていることだけで断言出来るだろうか?

私は詐欺師と思える人、偽善者ではないかと感じる人を
ずっと口汚く罵ってきた・・・ それが正義なのだと思ってきた
  ・・・しかしそれらのすべてが独善だったかも知れない

そしていろいろな人、いろいろな状況を観察してきて思う
結局はズルをしている人というのは、「策士策に溺れるものだ」っと

如何なる巧妙な策士といえども、必ずその能力には限界があり
往々にしておのれの頭の良さにうぬぼれ、
必ず馬脚を現し、必ずいずれは墓穴を掘る
   「天網恢恢疎にして漏らさず」、だ

ところが、そういう輩が自ら墓穴を掘る前にこちらから闘いを挑むと、
この「墓穴に自ら落っこちる」のが遅延してしまう・・・
本当にずる賢い人間というのは、逆風をむしろ逆手にとってくるからだ

  ・・・つまりは「触らないのが一番」という結論になる

とはいっても、
「何か手を打ちたくなる」「何か逆襲したくなる」のが人情というものだ

だからそこには超・長期的に見た運命への信頼が必要になる
つまるところどれ程のカンペキに見える正義でさえ、善でさえ、理論でさえ
運命への無限大の信頼がなければ、無に等しい・・・
いや、むしろ状況を悪化させすらしてしまうのだ!

ことわざには短気や勇み足を慎み、忍耐強さを促すものが多い
「二兎追うものは一兎も得ず」「急がば回れ」
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」「雨垂れ石を穿つ」などなど・・・

世の中を良くしたいというまっすぐな心の人達には親近感を感じるが
もしそういう人達が、いつも焦っていたり、怒っているのならば
ほぼ間違いなく欠けているのは、「運命への信頼」だ、

・・・自分自身への自制、自戒を含めて、最近つくづくそう思う

「唯我独尊、独立独歩で歩いて行く」・・・それは良いと思う
しかし
もし社会からの疎外感や孤立感に悩み、苦しんでいるならば
そのあたりの「短気が損気」に、自ら祟られているのではないだろうか?

 「お前が間違っていると言うことを、
  今すぐ思い知らせてやる!!」

  これは別の言い方をすれば
   「お前を気付かせてやる」ということだ

   「他人を覚醒させてやる」

   わたしの今までの人生にとって、
   たぶんこの傲慢が、最も大きな誘惑、躓きの石だったのだろう