赤塚不二夫、手塚治虫もまた、
「火垂るの墓」をリアルで体験していた人達だった


25:25
でもみなさんに覚えといてくださいね、
赤塚さんってね満州から引き揚げてくる時に
引き上げ船の地獄見てるんですよこの人
餓死ししていく妹さんをじっと眺めた人なんですよ
あのバカボンのいう「これでいいのだ」っていうのはね
本当に悲痛な時代に抗せず死んでいった人間たちを弔う
ナンセンスなんですよね、だから意味のあることが大嫌いっていう
もう意味ばっかりつけられたから、ああそうそういう無念が
こういうタモリみたいな人を愛してしまうと言う ・・・

27:32
まあそれにつけましても赤塚不二夫って只者じゃないですね
私もちょっと舐めておりました。
私はあんまりおそ松くんとか
ナンセンスギャグ漫画、あんま好きじゃなかったんですが、
この人のいわゆる身の上のこと・・・満州からの引き上げで
戦争背負った人なの、

前に加奈(聞き手の水谷加奈)に一回言ったことあるけど
鉄腕アトムの手塚治虫も累々と焼死体がある大阪の野っ原を歩いた人よ!

それから、ちばてつやは中国から引き揚げてくる時に
中国の人から石や刃物を投げつけられたっていう人。

つまり恐ろしいような戦争の状況を見た人たち
その人たちが日本に帰ってくると、
ものすごい日本の希望の漫画をそれぞれに書き出したっていう・・・

間違った戦争が間違わなかった人たちを生み出したって言う・・・
そこの昭和史の底流というのを見つめていくと面白いわねぇ

あなたは「悠久の大義に生きる」という言葉を聞いたことがあるだろうか?

日本人は太平洋戦争において、こう教えられ、戦ってきた
しかし、
幼い妹が刻々と死んでいくのをただただ見守ることしか
出来なかった野坂昭如氏や、赤塚不二夫氏にとって、
「悠久の大義」という言葉は一体どの様に聞こえていたことだろうか?・・・

「悠久の大義」の前で、ガラクタの様に使い捨てられていった人々に
若き日の手塚治虫は、自分自身の未来と、人間の道具として産み出されるであろう
ロボット達の運命を重ね合わせ、マンガ家となった彼に「ロボットの人権」を
描かせた

それは映画「ブレードランナー」にまで引き継がれている



もしあなたの人生に
「何の目的も、意義も、使命もない」のだとしたら?

もし正面切って誰かからそう言い渡されたならば
あなたは腹を立てるかもしれないし、
あるいはその言葉を受け入れたならば
ガックリと激しい虚脱感に襲われるかも知れない

でも、その反対に
誰かがあなたの前にやってきて
あなたの人生の生きる意味や目的を告げたなら??

  ・・・あなたは嬉しいだろうか?

実はそれもまた、あなたの人生の尊厳を踏みにじることなのだと思う
それは他者から、外から、社会から規定された瞬間に
あなたの人生を呪い始め、支配し始め
・・・いや、奪い去ってしまうだろう

   あなたはその為に神風特攻隊にすら成らなければいけないからだ


わたし自身も「命を捧げられる相手、場所」を探しあぐねてきた
でもそれこそが、私がOSHOからサニヤスを拒絶された理由でもあった

わたしは、
お金を払い、嬉々として占い師から過去生を告げてもらって
自分の魂のルーツ探しをしていた時もあった
自分の人生の説明をありとあらゆる形で探し続けていた

それらすべては「自分自身を何かに投げ捨てようとする努力」であった

でもそういった試みが、一度たりとも成功しなかったのは
呪いでも、失敗でもなく、祝福であり、自分自身の尊厳を引き受けることだった

その気の遠くなるような長かった旅は
わたし自身が生まれる前、日本の敗戦から本格的に始まったと言える
それは手塚治虫氏や、ちばてつや氏のような戦後のマンガ家や
赤塚不二夫氏、タモリのような「ナンセンス・ギャク」という形式の
反逆~リベリオンとして戦後の日本から燃え上がった狼煙だった

いまでも、愛国心のために死にたいと祈るネトウヨの若者も多いかも知れない
なぜなら日本人程、強い絆、帰属意識を求める民族はいないから・・・
ところが現代ほど、自己尊重が見つかりにくい時代はない
そして自己尊重にたどり着けない人々は
皆、自己同一化する対象をゾンビのように探しあぐねるしかないのだ

でも、神風特攻隊が本当に戦後の私たちに残してくれた命の贈り物とは
(当人達の自覚していた意思とは無関係に) 〝これ〟だったのだと私は思う・・・

「なんじ死にたもうことなかれ」
「日本が自己尊重に目覚めた人々の楽園になるべし」

それが、本当の意味での「君が代」なのじゃないだろうか?
現代ほど、自己尊重が見つけやすい時代もまた、かつてないように思う