「右辺と左辺が等しい」という、
 数学における等号(イコール)の大前提が金融にも使われている

 五井野正氏が言う様に「右側のものと左側のものとが〝同じ〟」という発想は
 すべてがゼロであるという結論でもあり、
 それは虚無感、無価値感へと繋がっている

 これはニートやヒキコモリ、
  ニヒリズムの発想にも関係しているのではないだろうか?

全宇宙の総和は、バランスしており、つまりそれはゼロである・・・??

絶対バランスの状態とは、つまり無であり、
無が単なる無価値感だとするならば
若者達がまた自分の存在価値もまた無ではないか?っと恐れることも当然だ

もしそのことを恐れるならば、
動画投稿やインスタグラムで、過度に自分をアピールして
犯罪行為にまで悪のりしたり、はては自分の自殺を生中継したりといった現象も
その深い根底に「自分の存在価値は無だ!」という無限の暗闇があるのではないか?

虚無に取り憑かれた人が
過度にはしゃいだり、自傷行為に耽ることは大いに有り得る

バシャールは、
「自分の存在価値を否定することこそ
 この地球に渦巻く最も根深い恐れの感情であり
  それが『憎しみ』以上の愛の対立概念だ」というあたりとも関係するようだ

「金、カネ、かね」の世の中ではプラスマイナス、ゼロという原則が支配し
それが人々から「人生は無価値だ」という愛の反対概念を植え付けている?
・・・それは大いに有り得るのじゃないだろうか?

本当はこの世界のどこにも「右辺」と「左辺」が「まったく同じ」ことなどない
「右辺」とおなじものは「右辺」だけだし
「左辺」と同じものも「左辺」だけだ

この世のもので、完全に同じものなど何一つ無い
石ころ一つ、塵一つでさえ・・・

そこで比較を絶した世界観が見えてくる・・・

「数えられる」というのは、同一のものが何個もある場合だけだ
そうでなければおおざっぱなカテゴリー分けされたものが数えられるだけ
「カテゴリー分け」とは常に世界の相対的な一断面からの一方的な見方だ