夕刻、
自宅前の路上で自転車の修理をしていたら
向かいの立派な家の若い主人と目が合った
彼は、自分の立派なランドローバーを洗車していた

私が何気に目をそちらに向けると
またしてもその車の若いオーナーと目が合ってしまった・・・

明らかに彼は、私の視線を気にしている様だった
私自身は取り立てて気にしてもおらず
夢中で自転車の後輪を交換しているだけだった・・・
目が二度も三度もあってしまったのは、
私にとっては単なる偶然だが
彼は、洗車をしながらも、私が気になって仕方なかったのだ

そこではっと気がついた
立派な自宅、立派な車、可愛らしい幼い娘・・・
彼には守らなければいけないものが山程あった
そして私にはそのどれもがなかった・・・

その時に初めて「大切なものがある人間」の神経の配り様が
私が一度も体験したことがない感覚なのだと気が付いた・・・

私には「本当に大切なモノ」など、
この世にはひとつも無かった・・・
わたしは自覚していた以上に「無所得」な存在だったのだ

そしてそのことは、「大切なものがある人」にとっては
恐ろしい存在に映るのではないだろうか?

「失うものがない」人間というのは、
良かれ悪しかれワイルドで、(得てしてハングリーで)、
予測不能なことをしでかしかねなかった・・・

きっと可愛らしい幼い娘を持つ父親の喜悦は
わたしには想像を絶する「なにか」なのだろう・・・・

で、あればきっと、
「それを失うかも知れない」
「それが何されるか解らない」っといった
娘を持つ父親が抱く不安感、恐怖感もまた
私には永久に理解出来ない感情かも知れない

私のすぐお隣には、
私が全く想像もしたことがない感覚の中で生活している人達が居るのだ!

 そしてそれはたぶん、
  向こうからこっちを見ても「同じこと」なのだ

  そう考えると改めて愕然としてしまった・・・
  「自分の命に代えても守りたいモノを持って生きる人々」が
     私が想像する事も出来ない程、大多数なのかもしれない

 むしろ私の様に
 「失うものがなくて、野良犬の様に平然と生きている」人間は
  守りたい財産がある人達にとっては、本音を言うなら・・・
  「野犬狩りをしてでも、本当は〝駆除〟しておきたい」
                 のじゃないだろうか?

「金持ちはケンカせず」という・・・
では「金持ちから見た餓えた狂犬の様な人間・・・」は?

わたしは今までの半生でずっと感じてきた〝疎外感〟の原因を
とうとう垣間見た様な気がした・・・・

そこには巨大な見えないアビス(深淵)があった

そうだ、
私には「守るべきものがある人々」の気持ちは、
     もはやたぶん永遠に判らないだろう

そしてもっとも絶望的なのは
私自身がいまも
「彼等の気持ちを分かりたいとは思っていない(思えない)」ことだ・・・
 だから私自身がその様に
  〝彼等〟の宝物への愛情に無関心、冷淡であり続ける以上は、
    彼等からの冷ややかな視線に
     耐えて生きていかなければいけないのも宿命なのだろう

これはひょっとしたら、
自分の子供を産み育てる能力や経験を持っている女性達のマインドを
男性達がなかなか理解出来ない事とも平行しているかも知れない

 「子宮を持って生まれる」ということは、
   人生の出発点から
 「守るべき宝がある」ということなのかもしれない

守るべきもの、失うべきものが・・・
  「ある人」と「ない人」
   そこには双方にとって信じがたいギャップがある・・・・

私に唯一理解出来ること・・・、
それは「私は決してあなたたちを理解出来ない」ということだ