「お菓子を買ってくれ」という
こどもの駄々に直面する父親・・・



「コンドームを活用しましょう」

・・・このビデオを見て
   子供のいない私はつくづく胸をなで下ろした

最近は禁句になりつつある日本語の言い回しで
「女子供は・・・」というのがある

つまり女性には本質的に
子供と同じ「非社会性」「幼児性」があるという事を示唆している

私に言わせればこれは往々にして事実であり、女性蔑視ではないと思う
良い意味でも女性は本質的に野性的であり、決して文明になじめない
猫の様なところがあり、それこそが女性特有のチャーミングさでもある

しかし最近、
ウカツにこれを言うと「女性を馬鹿にしている」と言われて
総スカンを喰らってしまう雰囲気を感じてしまう、
・・・それは私だけだろうか?

私たち男性にとって、女性とは永遠の謎だ

女性の持つ猫科の動物の様なワイルドさとしなやかさは
私たち男性に抗しがたい誘惑を仕掛けてくる
そしてそれに一旦捕まってしまうと、その先には

「あ~コンドームを使っておけば良かった」という
状況にまで超特急だ(笑)

痴漢対策の女性専用(優先?)車両に関する議論など
「社会の中でのフェミニンな要素を如何に社会の中で守っていくか?」
ということが、良く話題になっている様だけれど
女性達が声を荒げてフェミニズムを叫べば叫ぶ程、
なぜか社会の中の女性らしさは自縄自縛に陥っていないだろうか?

お菓子を買って欲しくて子供は泣き叫ぶが、
フェミニズムの狼煙はその姿にオーヴァーラップしてくるのだ

父親が折れて、しかたなく子供の言いなりに菓子を買ってあげれば
果たしてそれが子供の未来に繋がるのだろうか?

・・・実際その様な〝妥協〟に妥協が重なって
   それがモンスターを生む温床になっては居ないだろうか?

確かに痴漢をする男は一杯居るだろう、
でも現代、実際の処〝父親〟は社会から絶滅し掛かっている
女性達は「イイ男が居ないわよね~」と溜息をつくが
女性達が自ら滅ぼしているのではないだろうか?

女性達は「すべては男性優先の世界だ」と嘆くのをよく聞くのだが
むしろ順番は逆で、男性が社会的な主導権を失うこと、
つまり「父性が弱体化した(去勢された)社会」こそが
社会を貧困にし、経済(欲望追求システム)だけの頭でっかちの社会にし
そして離婚、女性達が母子家庭になって路頭を彷徨いかねない、
社会の貧困化を招いているのじゃないだろうか?

ちょっと周囲を見渡して欲しい
女性の美、母性の素晴らしさ、賛歌はいくらでも見つかるだろう
でもどこに父性の価値、寡黙な愛情の価値を見つけられるだろう?
せいぜい高倉健さんのポスターぐらいではないだろうか?

わたしは男女がフェアな社会になっていくのには賛成だ
しかし、特に政治的な舞台は父性原理の指導力、統率力が必要だ
「さあさあみんなで仲良く決めましょう」という談合社会で
いったいどんな舵取りをできるというのだろう?

今の安倍政治とアンチ安倍とのつばぜり合いもこういった
父性原理の「窮地」と「反発」とに見えてしかたがない

フェミニズムとはしょせんロックフェラーが仕掛けた罠に過ぎないが
日本人は敗戦によるGHQの日本人弱体化計画の、
この罠に見事に嵌まって、今も、もがき苦しんでいる

この「単なるワナ」は実際的には「宇宙的な問いかけ」なのかも知れない

「愛とは何か?」と問いかけた時、女性達は得意げに愛について語る
そして
「男どもには愛とは何か解っていないから好戦的な社会なのだ」
と言いたいのだろう

しかし男性原理的、父性原理的な愛もある、
いや、むしろ父性原理的な愛こそが宇宙の中心ではないか?
っと、何度かこのブログで書かせてもらった

本当に成熟した男性原理こそが、
自然と女性原理をも充足してくれるのではないか?

いま、全ての物事の
「中心がどこか?」「核とは何か?」見失われている様に思える・・・

女性原理的な、「柔らかい、包み込む様な・・・」愛だけが
愛の原理だと、常識化してはいないだろうか?

はたしてそれで、お菓子売り場でひっくり返る子供を
躾けることが出来るのだろうか?