沢木耕太郎の「地の漂流者たち」というエッセイがある

地の漂流者たち (文春文庫 209-3)
沢木 耕太郎
文藝春秋
1979-11


例え愛する家族や友人が沢山居ても、
カネや権力や名誉があっても
それらの何に対しても
〝違和感〟〝居心地の悪さ〟〝居場所の無さ〟を人は感じることがある

そんな時、人は「地の漂流者」になる、「家無き子」になる
たとえその人が王国の王子であったとしても、だ・・・

ゴーダマ・シッダルータや
ボーディーダルマがまさしくそうだったのだろう

別に宗教的なカテゴリーに限らず
人は皆、いや、この世に存在するものは皆、根底的に
「地の漂流者」「野良犬」なのだとおもう

「自分の本当の家、終局的な家、根底のルーツ」を探し始めた探求者は
まずその孤独感から「自分と同質なもの」を探す

馴染むもの、懐かしさや安らぎを感じるもの・・・

ところがその「自分との同質探し」が地獄の一丁目なのだ
同質性を求めれば求める程、
孤独な探求者は他者に「異質感」「違和感」を見いだす
そしてそこに絶望を見いだす

川瀬統心(以後トーシンさん)がいう
同質異体」の〝同質〟とはこれを言っているのだと思う
他者の中に同質性を探せば探す程、それは〝異体〟つまり分離感を強調する

OSHOは
「人間の精神的な病理の根本は〝比較〟だ」といっているが
比較の病理性とは、
じゃあ「みんな同じだから」なのか?といえばむしろ正反対で、
「あらゆる存在は比較を超えてユニーク(異質)だからだ」という

「人間なんてみ~んな同じさ!」ともいえるし
「人は皆ひとりひとり全然違う」とも言える

  全く矛盾する様だが確かに両方真実だ

だれでも利便性や快適さを好むし、他人より優位であろうとする
しかし
だれもがそれら快適さ、心地よいと感じる基準、
他人よりも優越感を感じる要素はまるで違う

そこでトーシンさんが問う
「同じが先手か?違いが先手か?」ということが重要になってくる

「みんな神の子ダヨネ~?」
「すべては愛ダヨネ~?」というのは美しい言葉だが
大上段に振りかぶった大前提として語られる「同質性(ワンネス)」は
実に危険だ!とトーシンさんは警告しているのだ・・・

恐ろしいことに
従来型のほとんどの宗教や主義主張は、ここにカテゴライズされる

・・・つまり多くの人の深層心理に巣喰う、
   「地の漂流者としての絶対的な孤独感」が、
   救済を求める時・・・

・・・身勝手な前提としてのワンネスを仮定して
   話を進めてしまうのだ

そして恐ろしいことにこのマトリックス世界とは
  「そう思い込めば、全部その様に・・・」見えるものなのだ

  「私の信念の証拠は世界中に溢れているじゃないか!?」

   しかし、身勝手な前提や願望に、
   純粋な探求、純粋な「未知との遭遇」はあり得ない
   人は皆「自分が見たいもの」を肉眼で、ありありと目撃する・・・

あくまでも「事実がどうであるか?」には大した意味がない
たとえ一つの単純な事実を見たって
人は皆そこから十人十色の「見方」「解釈」をひっぱりだすのだから・・・

・・・だから議論というのは真実へのアプローチとしては心許ないのだ

わたしたちは神を〝発見〟したつもりで
実際には〝発明〟してしまっていた・・・
そしてその「御神輿の違い」で宗教戦争さえしてきた

自分自身が
「裸の王様」だったならば
一体誰が好きこのんで自分自身に対して「王様(自分)は裸だ!」と
叫び、暴き立てられるだろう?

「見よ!この人こそ真の世界の王だ!」
「見よ!この人こそ偉大なマスターだ!」
と叫ぶ人が居たら
その人はその瞬間から
〝真の世界の王のしもべ〟として
〝偉大なマスターの弟子、伝道師〟としての
  「虎の威を借る狐」という闇の栄光に
   オートマティックに浸食されていくのだ

脱出不能なスピリチュアリズムのループというのも
往々にしてこれが原因なのだ

そしてだれもが
「(自分の中の)同じ神」を求めて
「(他人との)違い(違和感)」の失望を味わいながら
          その無限ループにおちてゆく

〝漂流者〟は必ず〝目的地〟アルカディアを目指すだろう
      放浪し続けたい者などどこにいるだろうか??

でも、
その(さすらい続ける)勇気がある者だけが、
〝自他の違い〟を受け入れることが出来る

「あなたとわたしは違う・・・」

否定しようがない目前の事実だ
そこにオカルティズム(隠された力)は必要ない

「あなたとわたしは違う・・・」

でも・・・

「みんな違って、それでいい」

「みんな違うからこそ、だからそこに一つのシンフォニーがある」

つまりそれが、
「もう一つのワンネス(異質だけれど同体)」だ

 「こうあるべき」という
  観念が前提としたワンネスではなく
  移ろいゆく漂流者たちが
   無為自然の中で醸し出すハーモニー
   自然に見いだされてゆくワンネスだ