要は
 「差別的な意図が有ったか無かったか?」が
  ポイントでは無いと言うことだとおもう・・・

  不愉快にさせてしまった相手がいたら
 「ゴメン、差別的な意図は無かったんだよ!」 と
  弁明するまではいいだろう

  問題はその後だ
 「差別的な意図はなければ無罪だろ?」というのは
             いかがなものだろうか?

「笑い」・・・ユーモアというのは、
人間性の精神のもっとも高度な開花なのだと思う

だから「何にユーモアを感じるか?」ということが
そのひとの魂の洗練された度合を計るバロメーターだろう

わたしは創価学会員のダウンタウンに
一度たりとも、クスリとも笑いを感じたことはない
彼等の提供する愚劣なギャグには不快感しか感じたことがない

ユーモアの要素の中心には、一種の「意外性」や「毒」がある
その「とっさに毒の成分選定とその量を調合する〝混合比率〟」こそは
まさしく「知性、教養の高さ」「センスの良さ」に掛かっているだろう

そしてその笑いが含む「毒への耐性」は、個々人で違うだろう・・・
ある人は高笑いするし、ある人は怒り出す・・・
とりわけ人種差別などは、
移民の国アメリカにおいてはデリケートなところであり
全く同じ「お笑い」であってもTPOによっては地雷になってしまう
笑いの提供者のみならず、むしろその笑いに立ち会う観客こそは
そのひとりひとりの知性やセンスが問われる・・・

自らの死への直面という「猛毒」さえも笑いに転換出来る人とは
まさしく悟った人なのかも知れない

60.Laughter   笑い