最近、
使い古しのバスタオルで寝間着を自作したくて
ミシンやグルーガンで「お裁縫」に挑戦している

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こういった作業は女性達が何千年も担当してきた仕事だ
根気が要る、いわゆる「チマチマした女々しい」作業だ
そういう「女々しい作業」を嫌っていたはずの私の亡き父も
今の私と同じぐらいの50歳ぐらいから(釣り道具の修理のために)
ミシンに向かっていた姿を思い出し、
いま私は親子の因縁めいたものをひしひしと感じている・・・

古くさいおっさんアタマの私にとっては
「男らしさ」へのこだわりというのはなかなかぬぐいきれないが、
こうしてミシンに向かっていると
そういったこだわりから少し自由になれた気がしてくる
       ・・・父はどうだったのだろうか?

男性にとって女性への理解と敬意を養うことは
生涯を費やすべきライフワークなのかもしれない

こうして「チマチマとして女々しい」と、
ずっと嫌悪していた裁縫作業をやっていると
女性の辛抱強さ、繊細さ、包容力は
女性の執念深さ、陰湿さ、排他性と表裏一体だと感じてくる

若い男性だって「ボクは女性を尊敬してます」というかも知れない
しかしそんな男性でも、女性のポジティブな側面とネガティブな側面とが
実は表裏一体だとはなかなか信じがたいだろう

男性は性的な磁力によって魅せられながら「ボクは女性を尊敬してます」という
言うだけではなくたぶん本人も本気でそう思っているのだろうが、
でも、そんな男性でも、
 女性のおたふくな一面と般若の一面が、よもや表裏一体だとは思えずに
  女性の
  愛と美の化身の様な面を愛しつつ
  嫉妬の悪魔の様な面を嫌悪する

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でもこの両面が
長い間女性が引き受けてきた「女性の役割」から派生している
女性の「般若の面」をひっくるめて受け入れて
愛おしい、素晴らしいと男性は抱きしめてあげているだろうか???

いま、
女性が「女らしさ」というものを人類史上の長い歴史の中で
〝男性に強制された〟苦役として脱ぎ捨てようとしている様に思う。
(特にイスラム圏なんか・・・)

だから
男性達が「女性の質」への理解と敬意に目覚めつつあっても
もはやその席に女性はいなくなってしまっているかも知れない

男性達がかつて知っていた「恋人、妻、母、娘・・・」はもういない
 男性達が花束を持ってはせ参じても女性の園にはもう誰もいないのだ・・・

 女性がいなくなってしまった現代、
  もう男性の女性への理解と敬意は時代遅れかも知れないが
  それでも、・・・いや、むしろこれからこそ
   女性的質、女性的辛抱強さ、女性的繊細さ、包容力が
       必要とされる時代なのじゃないか?と思う
40.Wholeness   全体性 
自分が全一であるかどうか、内側を見てみましょう。
はさみはマインドに似ています。
はさみは切ります、分けます。針は愛に似ています。
ものごとをひとつにまとめます。引き裂かれたものを癒してくれます。
あなたのハートを愛に向けて開きましょう。
そうすれば、愛があなたをトータルにしてくれます。