私たちの悲惨さ、
世界残酷物語」はそのシンプルさから一歩を踏み出した時から始まった
「モア:もっと」を考えはじめ、
 過去から未来への時間的な継続を考えはじめた時から
             わたしたちの人生は始まった
つまり
「自分の人生は限られている・・・」
「・・・だけど、もっと!」と意識し始めた時から心理的な時間が始まったのだ



だから、パラドックスなのだけれど
 この心理的な時間、「モア=明日」が終わった時が
 わたしたちの「限られた人生」の完全な終わりの瞬間でもある

アンディーウィリアムスの名曲内の歌詞では
「僕ほど誰も君を愛せやしない」というラブソングになっているが
実際には「比較級:more」や「最上級:most」といった言葉の中に、愛はない

  ・・・「ああ、この菓子は実にウマい!」
      そのONE&ONLYの至福の中にしか愛はないのだ



それがきっと
OSHOが言うところの「究極の死」でありカルマの終焉だ

  それは必ずしも「肉体の死」を意味するわけでは無い・・・ 
    ・・・ただ、「肉体への執着~わたし」が死んだだけのことだ

そのとき
 私たちのあれこれは終わる
 わたしたちはその時、再会する
再び「あなたがいてわたしがいる」だけのシンプルな世界に還れるのだろう