エックハルトは自伝の中で
「もうこんな自分とは一緒にやってられない!」と叫んだ瞬間
奇妙な感覚に囚われたと言っている

〝こんな自分〟と、その自分に対して
〝やっていられない〟と叫ぶ自分・・・
「いったいどちらが本当の自分なのだろう?」

そしてその夜、
どこまでもどこまでも深淵に落下していく啓示を体験したと言っている
この体験談はまさしくOSHOがエンライトメントした瞬間とソックリだ

OSHOにせよエックハルトにせよ、
「絶望〝的〟な自分」と、その自分に
「絶望した自分」との、「2人の自分」が明瞭に分かれた瞬間に
「底なし沼のような完全な絶望」の中へと落下していったのだ

この「底なし沼」とは何か?
それをエゴが・・・、
「ロジカルな自分」「期待と失望とを往復している自分」が
            理解することなど、到底不可能だ

この「深淵」こそが本当の「アイアムである」という言い方も出来るが
この「深淵」の虚無において「自分」と「自分以外のもの」はありえない
   「何かを指さす私」「指さされる何か」など存在しようがないからだ

しかし、
「自分や他人に〝期待と失望とを往復している〟分裂した自分」なら
その正体は明瞭だ・・・
 〝彼〟は碇ゲンドウのような支配者であり司令官だ

eva光る目

失望VS絶望 from Katal Maneel on Vimeo.


「世界(自我)を救う」という偉大な使命、大義をバックグラウンドに
常にあらゆるもの、あらゆることを掌握し、コントロールしようとしている

ところが、ゲンドウに刃向かう、息子のシンジもまたゲンドウの分身に過ぎず
どちらもが「分裂した自己」に過ぎない

どちらかが絶対に正しく、どちらかが絶対に間違っているのでもない
だから延々と決着が着かない それは無限につづく苦しみだ

ゲンドウは
「全て判っている男」として絶対的に命令する
シンジは
「何も知らされていないEVAのパイロットという〝部品〟」として
ずっと怯えて生きている・・・明瞭な意思も持たず、周囲に逆らうこともなく
一見素直だ

でもこの親子はどちらも同じ穴のムジナだ
ゴクリ、「それは確かなの?」

「命令するもの」と「命令されるもの」、「教えるものと学ぶもの」
時として歩み寄って和解しようとしたり、決別したりするが、結局変わらない

全ての関係性は表面的にはすったもんだのドラマがあるが
その関係性の本質は変化しない・・・
でもその〝本質〟とは、愛などではない、
互いに〝必要とし合っている〟だけだ・・・片方が死ねばもう片方も死ぬ
それは、強力な相互依存であるために「愛のように見える」だけに過ぎない

「私は実は愛とは何か?全く分かっていなかった」という気付きは
まさしくこのポイントにある

その虚構
「インチキドラマを延々と繰り返している分裂した私」への気付きこそが
目覚めなのだろう

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