私のOSHOへの尊敬の念は、
わたしに2人の古株のサニヤシンへの尊敬の念を抱かせていた
しかし、それは私に大きな精神的な足かせとなっていた

でももうその足かせから、今夜自由になった
「アウェイクニング・コース」と銘打ったセッションで
芭蕉会館の一室に、ある意味軟禁されていた私は、
そのセッションの最後に「望まないハグ」を強制された
自然にわき出た感動からではないハグだった
儀礼的な、欺瞞に満ちたハグだった
嘘の体温を交わした、相手も自分自身のハートも裏切る後味の悪いハグだった
それをわたしは醜い老人の支配欲のために妥協してやってしまった
私の人生における最大の嘘、最悪の裏切り、最低の屈辱だった

今夜その最悪の思い出を、やっとこさ払拭出来たようだ
その軟禁状態での強制されたハグを、
単に私は「拒絶すれば良かった」だけなのだ
そういう意味ではその老人自身が言ったように
「誰の性でも、ありませ~~ん」なのだ (でも自分で言うなよ!自分で!!)
なぜ2万円を払ってまで
フレンドシップを〝強要〟〝命令〟されなければいけなかったのか?

いまなら彼のカルト性を断罪出来る
今までそれが出来なかったのは彼がOSHOの日本における最古参の弟子であり
(やはり敬意を抱く)バガヴァンのところでの異色のリーダー格であったことが
わたしの判断をずっと曇らせていた

 ・・・私のお得意の〝批判精神〟が、
     OSHOやバガヴァンの威光の影で
      その白い髭の老人に対しては、いささか鈍っていたのだ

わたしともあろうものがコギャルじゃあるまいし
恥ずかしくも「ブランド」に目がくらんでいたのだ

現在の彼に関しては私は知らない
しかし過去に受けた仕打ちは忘れない、また許す気も無い
彼は自分を信頼して集う男女が密室の中で受けた命令が
どれ程強制的な意味を持つのか?その自覚がない限り
私に謝罪するつもりはないのだろうから・・・
そして自分の欺瞞性もたぶん、まだ自覚してはいないだろう

だからいまや私もキッパリと断言出来る、
「もうあなたのあの2014年の時の命令の影響から、今夜限りで出て行く」と

覚えておきなさい
 完全に「NO!」といえる自由がある時だけに、
   あなたは初めて
  完全に「YES!」という事が出来るのだ   BY OSHO

Noという権利を相手の外堀からじわじわと奪っていって言わせたYesは
  本当の肯定ではない・・・、
   全面的な肯定、自然な肯定では決してあり得ないのだ