エンライトメントの究極の核心にあるものは
肯定的(ポジティブ)な光ではなく
否定的(ネガティブ)な闇だ

By OSHO ※ 太母さんの訪問に際しての問いに対する答えより

全てへ肯定、この世界のあるようにあることの全ての受容
それはまったき光だ

だからエンライトメントとは
完全なる光の宇宙への溶解であるというイメージが強い

しかし、「うん、それはそうだね」と言った時、
「それ」とは紛れもなく自分自身ではないことを意味する

 〝絶対的受容〟とは、〝一体性へと溶解すること〟に見えるが
 〝それ〟を〝受容する〟という行為、それ自体が
 「わたしは〝それ〟ではない」という絶対的な否定をバックボーンにしている
 「受容しうる対象」とは、「いまここ」と距離があることを示唆している

肯定、つまりポジティビティーとは、
それ自体が静的なものではなく動的、活動的なものだ
だから「受容します」といっている「ポジティブな私」の主体とは
不動なもの、静的なものであるはずだ・・・・

そして、「マイホーム」ともいうべき「アイアム」が
動的であったり流動的であっては、それは到底「ホーム」とは呼べないのだ

つまり全てが動的、全てが流動的なこの世に在って
〝我が家〟とは「光ではなく闇・・・」純粋な、完全な「暗黒」でなければならない

静寂も、安らぎも、あらゆるものへの受容性も・・・、

   それらの源泉とは「純粋に黒い点」
   ・・・ありとあらゆるものへの絶対的な拒絶、無為と沈黙だ