この世界のどこを探しても、私の未来など無い

たとえよく当たると評判の占い師に
「あなたは10分後に最高の結婚相手と出会いますよ」と予言されても
「あと10秒後にあなたの前に10億円が転がり込みますよ」と予言されても
そんなことは「いまここ」の私とは全く何の関わりもない
その予言が成就するかどうかは10分後なり、10秒後なりにわかることだ
分かればその時に対応すれば良いだけのことだ
大喜びするのはそれからでも遅くない

予言は現金(キャッシュ)ではなく手形に過ぎない
生きることに必要なのは手形や約束ではなく実物だ
衣食住・・・

そうして豊田商事事件では多くの老人が虎の子を巻き上げられたではないか?
たとえ10秒後の10億円でも、その「約束の」紙切れに、いまは一円の価値もない


あらゆる気休めや、慰め、方便や、
人生の意義付け、解釈が、すべて虚しい、すべて通用しない瞬間を今感じる

ここに未来など無い、目の前を行き交う人々は全て私とは無関係だ
たとえ10秒後に本当に10億円が転がり込もうと、
じゃあいったいそれが何だというのだ?
実際には大金が自分の人生にどんな幸運をもたらすか?なんて判りはしない

唯一確実なのは、いつかどこに向かうことも、何が起ころうとも
いまここは常に虚しいままだと言うことだ
私の中心は常に空っぽだと言うことだ
これだけが唯一保証された事実
ずっといままで継続してきた事実だった
   そしてこれからも未来永劫そうなのだ

この人生には常に
一時的な熱狂があっただけだ、落胆があっただけだ
その繰り返しに何の意味があるだろうか?
熱狂の時も、落胆の時にも、自分の中心は醒めた空っぽだけがあった

・・・それらはすべて巨大な廃墟じゃないか?
    世界の金銀財宝、美女や冒険を総動員しても
     自分の中心の小さな小さな空虚さが、
      もはや決して埋まることはないのだ