「私は何も信じない」と言った場合、
最後にひとつだけ残ってしまう信念体系がある
・・・それは「私は何も信じない」という言葉だ
つまり「信じないぞ」という決意を「信じている」ことになる
その〝構え〟その〝信念〟その〝拒絶〟を信じていることになる
だからこれは
「黄金律はないということが唯一の黄金律」というのと全く同じ自己矛盾だ
ウロボノスのヘビが自分自身の尻尾から自分自身を食べていくなら
このヘビは本当に空間の中に「消え去る」だろうか?
いいや、そんなことはない
最後に極限まで折れ曲がって短くなった自分の胴体を咥え、
ぶざまに喘ぐ頭が空中に残り続けるのだ・・・
だから
「何も信じない」という自らの言葉さえ、宣言さえも信じないときに
全てが消え去る
つまり、
「あらゆる言語化されたものを信じない」その時
「沈黙だけが残る」・・・・
何一つ宣言しない「沈黙」だけが残されたとき、
その時、その沈黙それ自体が自明の証言をするだろう・・・
「何かを信じてきた私はもうここには居ない」、っと
最後にひとつだけ残ってしまう信念体系がある
・・・それは「私は何も信じない」という言葉だ
つまり「信じないぞ」という決意を「信じている」ことになる
その〝構え〟その〝信念〟その〝拒絶〟を信じていることになる
だからこれは
「黄金律はないということが唯一の黄金律」というのと全く同じ自己矛盾だ
ウロボノスのヘビが自分自身の尻尾から自分自身を食べていくなら
このヘビは本当に空間の中に「消え去る」だろうか?
いいや、そんなことはない
最後に極限まで折れ曲がって短くなった自分の胴体を咥え、
ぶざまに喘ぐ頭が空中に残り続けるのだ・・・
だから
「何も信じない」という自らの言葉さえ、宣言さえも信じないときに
全てが消え去る
つまり、
「あらゆる言語化されたものを信じない」その時
「沈黙だけが残る」・・・・
何一つ宣言しない「沈黙」だけが残されたとき、
その時、その沈黙それ自体が自明の証言をするだろう・・・
「何かを信じてきた私はもうここには居ない」、っと
「あなたの沈黙だけが、唯一、私の同意を得られる」 By OSHO
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