ちょっとキザな話だけれど
昨日の朝、道端できれいな色の花が咲いていた

K0120046_s

何故その花は、そんな色を選んで咲いていたのだろうか?
きっとそれはその花の世代交代の果てに選択された「最新のカラー」だったのだろう

彼女は私のために咲いていたのではなかった
彼女は私のためにその色を選んだのではきっと無かった

・・・でもだから私は「美しい」と感じて目が留まったのだ
   もし彼女が「ほら、あなたのために咲いたのよ」とウインクしたなら
   きっと私はゲンナリして目を背けただろう

   彼女は彼女自身の都合で、その時と場所とカラーを選び咲いていたのだ
   そこにこそ私との出会いがあった

   彼女は私に褒められよう何て夢にも思っていなかった
   彼女は私の視線を奪おうだ何て全く作為していなかった

きっと花には人間の称賛の視線を感じてはにかむ感性など無いだろう
それでもその瞬間の出会い、瞬間の私の視線を彼女が感じないはずは無い様に思った
「思いがけない突然の称賛」だからこそ
それは〝ホンモノ〟であり、儀礼では無いのだ

わたしは飾らない〝ホンモノ〟の美しさを感じた
だからその花にとって、
人間の女性が感じるようなはにかみは感じなくとも
自身の生涯のなかで人間の私から向けられた称賛が無意味であるなど
到底考えられないのだ、きっと何らかの形で私の称賛が届いているに違いない・・・


Prem Sheel
6月6日 11:04 ・


神が存在すると言うのは
正しくない。
なぜなら、
存在するものは
すべて神聖だからだ。
実のところ、
ありとあらゆるものが
存在すると言ってもよいが、
神が存在するという言い方だけは
成り立たない。
存在そのものが神聖だ。
神聖であることと
存在することとは、
言い方が違うだけで同じことだ。
それゆえに、
存在の特質を
神に帰することはできない。
他のものは
すべて存在すると言ってもいい。
なぜなら、
それらは
無のなかへ消え去るからだ。
私は存在すると言ってもいい。
私は無のなかへ消え去るからだ。
あなたは存在すると言ってもいい。
あなたが存在しないときもあったからだ。
だが、
神が存在するという言い方は
成り立たない。
神は常にそこにあるからだ。
「神」が存在しなくなるなど
想像もできない。
したがって、
存在は神の属性ではありえない。
私はこう言う・・
存在は神聖だ、
あるいは、
聖なるものとは存在を意味する、
と。
神聖でないものなど存在しない。
あなたが気づいていようといまいと、
あなたが神聖であることに変わりはない。
それに気づけば、
あなたは存在そのものと化す、
至福と化す。
気づかなければ
苦しみ悶えつづけるが、
それでもあなたは神聖だ。
眠っていても、
無知であっても、
あなたが神聖であることに変わりはない。
自覚はないが、
石ですら神聖だ。
存在は神聖だ。
神が存在することを
証明しようとする者たちは
みな知らない。
神が存在することを
証明するのは
まったく馬鹿げている。
そして、
神が存在しないことを
証明しようとする者たちも
同じ舟に乗っている。
だが
「存在」が存在することを
証明しようとする者などいない。
もしあなたがそのような言い方で、
「存在」が存在するかどうかを
私に尋ねたりしたら、
質問そのものが馬鹿げたものになる。
誰かが神は存在すると言う場合、
私にとって、
それは「存在」は存在するというのと
同じ意味になる。
神と存在は同義語であり、
同じ意味だ。
存在が何であるかを
ひとたび自覚すれば、
あなたはそれを存在とは呼ばなくなる。
そうなったら、
あなたはそれを神と呼ぶだろう。
全一なる存在を自覚する瞬間、
あなたは「存在」という言葉を使えなくなる。
前よりも存在と親密になるので、
個人的な名前を使わざるをえない。
あなたはそれを「神」と呼ぶ。
存在を「神」と呼ぶのは、
まさにこのこと・・
存在と親密な関係を
持つことができるということ、
存在と個人的な関係を
持つことができるということに
ほかならない。
それは血の通わないものではない。
関わりを持てないものではない、
よそよそしいものではない。
存在は神だと言うとき、
私たちは、
存在は私たちと親密な関係にある、
と言おうとしている。
私たちは、
存在と関わりを持つ。
存在はよそよそしいものではない。
だから、
人間の心にとって、
存在を表すには
神という言葉ほど適切な言葉はない。
Osho - I Am The Gate

18882122_1467003463366264_4533607223529801280_n