54・Single-Pointedness
   一点に集中すること
 学識のある人は、生命力にあふれている人のところに行かなければな
りません。プラスチック製のものは、〈真実なるもの〉 のところに行か
なければなりません。

サラハは仏陀より
およそ2世紀後に生まれた。
彼は枝分かれした一方の枝の直系だった。
ひとつの枝は、
マハーカーシャッパから
ボーディダルマへと伝わり、
禅が誕生した。
その枝はいまも花に満ちている。

もうひとつの枝は、
仏陀から
彼の息子であるラーフラバドラ、
ラーフラパドラからシュリーキールティ、
シュリーキールティからサラハ、
そしてサラハから
ナーガルジュナへと伝わっていった。
これがタントラの技だ。
それはいまも
チベットで実を結んでいる。

タントラはチベットを改宗させた。
そして、
ボーディダルマが
禅の祖師であるのと同じように、
サラハはタントラの祖師となった。
ボーディダルマは
中国、韓国、日本を征服した。
サラハはチベットは征服した。

サラハは
タントラ・ヴィジョンの祖師だ。
それはとほうもなく重要だ。
人類の歴史の上でも、
とりわけ現在という時点においては---。
なぜなら、
新しい人間が
生まれ出ようとして奮闘し、
新たな意識が
扉をたたいているからだ。
そして来るべき世界は
タントラのものになるだろう。
というのも、
もはや二元的な姿勢が
人の心をとらえることはできないからだ。

サラハの元の名前はラーフルという、
それは彼の父がつけた名だ。

彼がシュリ・キルティの許にいった時
シュリ・キルティが
サラハに伝えた最初のことは、
すべてヴェーダを、
自分の学識すべてを
落とすことだった。

それはサラハにとって
困難なことだった。

知識を放棄するのは
この世で一番難しいことなのだ。
まず、その一等初め
どうやってそれを放棄する?
それはあなたの内にある。

あなたはあなたの王国から
逃亡することもできる。
あなたはヒマラヤに行くこともできる。
あなたはあなたの富を
分配することもできる。

でもどうやって
あなたの知識を放棄する?
そして
そこから再び無知になることは
あまりに苦痛に満ちている。
それはありえる最上の堪え忍び

再び無知になること
再び子供のようにあどけなくなること

しかし
彼には準備ができていた。

幾年かが過ぎていき
少しづつ彼は
知ったすべてのことを
ぬぐい去っていった。
彼は偉大な瞑想者になった。

ちょうど偉大な学者として
たいそう有名になりはじめた時のように
今や偉大な瞑想者としての
彼の名声が拡がりはじめたのだった。

新芽のように
朝露のように
あどけなくなったこの青年を
ただひとめ見ようと
人々ははるばる遠方からやって来始めた。

ある日、
サラハが瞑想していると、
突然彼はヴィジョンを見た。

それは女性が市場にいて、
彼女が彼の本当の師になるという
ヴィジョンだった。

シュリ・キルティは
彼を道の上に押しやっただけなのだ。
ほんとうの教えが
ひとりの女性からやって来る。

彼はシュリ・キルティに伝えた。
「あなたは私に
 路を示してくださいました。
 あなたは私が習得したものを
 取り去ってくださいました。
 あなたは半分の仕事を
 やってくださいました。
 いま私は、
 自分のワークの
 残りの半分をやる用意が
 できています」。
笑うキルティの祝福を受けながら
彼は去って行った。

彼は市場にやってきた。
彼は驚いてしまった。
彼はヴィジョンの中で見たのと同じ女性を
本当に見つけだしたのだ。

彼女は矢を作っていた。
彼女は矢細工師だった。

矢作りの女は低いカーストの女だ。
そしてサラハは教養あるブラーミン、
王の宮廷に属していたブラーミンが、
矢細工師の女のところにいくというのは
象徴的だ。

教養のあるものが
活力ににあふれたものの許に
行かなければならない。
整形されたものが、
本物のところに
行かなければならないのだ。

彼は、
活き活きと生に輝き、
矢の柄を切りながら、
矢を作ることに
完全に飲み込まれているこの女性を、
この若い女性を見た。

彼はすぐさま彼女の現存に
尋常ならざるものを感じ取った。
彼が未だかつて出会ったことのない
何かを感じ取った。

彼女は自分の動きに
まったく飲み込まれていた。
サラハは注意して見守った。
矢が出来上がり、
その女性は片方の目を閉じ、
片方の目を開けながら、
目には見えない的を狙う仕草をした。

そしてなにかが、
コミュニオンのようななにかが起こった。
彼はそれまで一度も
そういったものを感じたことはなかった。
その瞬間に、
彼女がやっていたことの
スピリチュアルな意義が、
サラハにわかりかけてきた。
左も右も見ることなく、
彼は彼女を見た……。

彼はそのことが言われるのを
何度も聞いていた。
そのことを読んだことがあった。
彼はそのことを熟考していた。
そのことをほかの人びとと
議論したことがあった。
真ん中に在ることが正しい、と。

彼女はあまりにも
完全に飲み込まれていた、
あまりにも全面的に
動きのなかにあった
それもまた仏教徒のメッセージだ。

動きに全面的に入っていることは、
動きから自由であることだ。
トータルでありなさい。そうすれば、
あなたは自由になる。

その女性の美、輝きは、
全面的に飲み込まれることから来ていた。
初めて彼は、
瞑想とはなにかを理解した。

特別な時間だけ坐って
マントラを繰り返すのではなく、
教会や寺院やモスクに行くのではなく、
生のなかにあることを.......。

些細なことをやりつづける.......
だが、
そのように飲み込まれることで、
あらゆる動きのなかに
深遠さが開示される。

彼は瞑想がなんであるかを
はじめて理解した。

彼は瞑想をし続けてきた。
彼はハードに戦い続けてきた。
しかしはじめて
瞑想がそこにあった。
彼はそれを感じることができた。
彼はそれに触れることができた。
それはほとんど
手に触れんばかりのものだった。

と 
その時彼は
片目をつぶり、
もう一方の目を開けるのは
シンボルであること
仏教徒のシンボルであることを
思い出した。

仏陀は言っている.......。

頭の半分は理性であり
頭の半分は直感だと言っている。

左側の半球は、
理性、論理、
とりとめもない思考、分析.....。

右側の半球は直感的で詩的だ。
インスピレーション、ヴィジョン、
先験的意識、先験的目覚め
議論するのではなく
あなたはただただ知る。

推理するのではなく
あなたはただただ了解する。
これが先験的目覚めの意味だ。
それは単純にそこにある。

真実は頭の右側で知られる。
真実は頭の左側で推理される。
推理はただの推理であって
経験じゃない。

突然
彼は女性が
片目をつぶったことを了解した。
彼女は理性の目を閉じる
シンボルとして
目をつぶっていたのだ。
彼女は愛、直感、目覚めの
シンボルとして
もう一方の目を開けていたのだ。

女性の行為を覗き
その真実を認知したので、
女性は彼を「サラハ」と呼んだ。

「サラハ」とは美しい言葉だ。
それは「矢を射し者」という意味だ。
「サラ」とは「矢」のことで、
「ハ(ン)」とは「射た」という意味だ。
「サラハ」とは
「矢を射し者」という意味になる。

彼がその女性の行為、
その象徴的なしぐさの意味を悟り、
その女性が与えようとしたもの、
示そうとしたものを
読み取って解き明かしたとき、
彼女はうれしそうだった。

彼女は踊りあがって
彼を「サラハ」と呼び、
そしてこう言った。
「さあ、
 今日からあなたは
 サラハと呼ばれることに
 なることでしょう。
 あなたは矢を射たわ。
 私の行為の意味を理解して、
 あなたは射ぬいたのよ」
「サラハ」は美しい言葉だ。
それは矢を射たものという意味だ。

 
サラハはまず、
すべてのヴェーダ、教典、知識を
置き去りにしなければならなかった。

いま、
彼は瞑想すらも置き去りにした。

いまでは歌うことが彼の瞑想であった。
いまでは踊ることが彼の瞑想であった。
いまでは祝祭が
彼のライフスタイルのすべてだった。
 
サラハと矢細工師の女は
火葬場に移っていっしょに住んだ。
火葬場に住みながら、祝っていた! 

死しか起こらないところに住みながら、
楽しく生きていた! 
もしそこで楽しむことができたら、
喜びがほんとうにあなたに起こったのだ。
いまではそれは無条件だ。
 
Osho - The Tantra Vision
              THE TANTRA VISION,Vol.1,Dp.5-20
     邦訳「タントラヴィジョン」 ユニオ・コーボレーション刊