「そんなことは在りもしない全くの幻想だ、妄想だ!」
「そしてこれこそが世の中を席巻する現実なのだ!」

・・・そういって私たちは仮想(バーチャル)と現実(リアル)とを分類し、
                         日々識別して生きている

でもそんな「識別者」がこの地上から消滅したら、
この地上にはいったい何が残るだろうか?

 この地上は何も変わりはしないだろう、  何一つ!!

  ・・・しかし、
  ・・・ところが

    ・・・そうだ、

  観念を持った〝識別者〟が地上から消えた時・・・

  「あれは仮想、これは現実・・・」と識別している、---
   ---「私」や「あなた」が消えれば、分離は消滅するだろう
          仮想と現実との境界線もまた、即時に消滅してしまうのだ

そしてやがて、
地上からは全ての人間が消えるだろう
観念を振り回す人間が残り続けている地上に、
           決して争いは終わらないから、
           決して平和は来ないから・・・、だ

それは必ずしも、
 「人類という生物種」の〝絶滅〟を意味しているのでは無い

「人間」という、
 「道具を使う危険なサル」と「ブッダ」との
  過渡的な中間生物が消えていなくなる時に、
     地上には、永遠の平和が訪れるだろう

津留晃一
「現実」という言葉の概念に向けて
意識の焦点をあわせていくと、
私の意識は空間をさまよい、
やがて私の心の中に
戻ってきます。
現実と呼べるものは
私の想念の中にあるという
当たり前の事に気付かされます。
目の前に展開されている
「現実」を眺めながら、
それを心の中にたどっていくと、
そこに私の想念が発見されます。
「私にとって
この想念は必要なのだろうか」
とチェックしてみると、
必要というわけではない
ということがわかります。
ですが
「では、その考えを手放そう」
と思ってみたときに
心の中には葛藤が生じます。
何がこの葛藤を
誘発しているのかと
探してみると、
私がこれまで
永い間慣れ親しんできた、
固定的観念が上がってきます。
この古い価値観と
対面させられる事になります。
そんな時には
この葛藤の元となっている
習慣的考え方に、
しっかりと
意識の照準を合わせます。
そうしていると、
それに関する様々な恐れや、
雑念が上がってきます。
その一つ一つに
丹念に意識を合わせて下さい。
恐れがあるなら
そこにじっと意識を合わせ、
自分の中心を外さないで下さい。
あなたの心が
ハートの中心にいて、
何かに意識を合わせていると、
その対象に、
あなたの内面の光が
照射されます。
そしてやがて数分の内に、
不思議なことにそれが
どうでもいいことのように
思えてきます。
そしてそんな時には、
その対象に
意識を向け続けるだけの
集中力が無くなっています。
すなわち集中力が
途切れた時には、
既にその固定的考え方が、
もはやあなたを動かす力を
なくしてしまっている
わけです。
そしてあなたは
一つの習慣的考え方から
自由になります。
あなたの内面から上がってくる
葛藤のエネルギーが、
古い価値観を破る
破壊のエネルギーとして
働いてくれるわけです。
こうして
あなたの眼前に展開される
一つひとつの出来事が、
あなたを無心へと
導いてくれる
原動力となるわけです。
どうぞ自分のために
静かな時間を
とってあげて下さい。
あなたの古い価値観を
はずすためには、
どうしてもこうした
エネルギーワークが
必要となるからです。