「金融支配」も「軍産複合体の暴走」も、「ロボットの叛乱」も原理は同じだ
人々はシンギュラリティにびびっているが
「金融支配の陰謀」にせよ、人々は、その〝正体を暴くべきだ〟と
目をつり上げて「正義の闘い」に挑んでいる
しかし、話が逆なのだ
〝彼ら〟の存在とは・・・???
貨幣経済にせよ、人工知能にせよ、その正体はどれ程、複雑化しようが
しょせんは、「人間が産み出した〝人間自身の影〟」に過ぎない
だから、
〝彼らの正体をあばく〟ことが重要ではなく
(※あえて真犯人、ラスボスを言うなら、それは〝人間性〟それ自身)
〝彼らこそ、わたしたち人間ひとりひとりの
本性を暴く試金石である〟ことが重要だ!
生命には、生命それ自体に「生きたい!」という純粋な動機があるが
その影である金融システムやら人工知能システムやらが、
それ自体で〝動機〟を持つことなどない
もし〝彼ら(?)〟がそんな動機を持ったとしても、
それはあくまでも生みの親である人間が、
その様に〝ふるまう〟プログラムをしただけで
決して〝それ自体〟が動機を抱くことなど無いのだ・・・
ロボットが人を殺した・・・
しかしそのロボットを分解しても、中から取り出せるプログラムは
「人の心の弱さ、恐怖、邪悪さ」だけなのだ
法廷にその「分解したロボット」を引き出しても、そこには殺人犯はいない・・・
「人間が動いた」・・・だから「影がそれに合わせて動いた」だけの話だ
・・・それらは影 (シャドー) であり、わたしたちの〝鏡 (ミラー) 〟~鏡像だ
あらゆるシチュエーションが、私たちの投影として私たち自身を試してくる
お金に苦しい時、その人の本性が現れる
いのちの危険にさらされる時、その人の本性が現れる
だから、金融支配を批判すればする程、生活の困窮を訴えれば訴える程
「余裕しゃくしゃくの笑顔だった時」の顔色は失われ、その人の本性が剥き出しになる
生きていく上で直面する様々な状況は、
必ずしも「説明書付き」ではなく一見理不尽なことは多い、・・・
しかしそういう
「フェイント攻撃」「時間差攻撃」を喰らわなければ
わたしたちは自分自身の〝弱さ〟〝本音〟〝本性〟を自覚できないのだ
そのためにこそ、わたしたちは「自分自身の虚像と向き合う」生活を選んだのだ
これこそが、わたしたちが「生まれてきた動機」であり
「見かけにどれだけ翻弄されない魂の視点」を試し、磨く修行(覚醒ゲーム)なのだ
この「最も危険な遊戯」は続く、
最後の最後まで、いまわの際まで・・・・
気は抜けない、油断は出来ない!
最後の最後まで、大どんでん返しは有り得るのだ・・・
「これがゴールだ」「これが最終結果だ」「これこそが真理だ」
っと、何かを信じ込んだ時点で、〝負け〟だ!!!!
・・・他ならぬ自分自身の落とした影 (マトリックス) に負けるのだ
・・・「説明」を求める、「道理」を求める、「正義」を求めるのは覚醒の弱さなのだ
人々はシンギュラリティにびびっているが
「金融支配の陰謀」にせよ、人々は、その〝正体を暴くべきだ〟と
目をつり上げて「正義の闘い」に挑んでいる
しかし、話が逆なのだ
〝彼ら〟の存在とは・・・???
貨幣経済にせよ、人工知能にせよ、その正体はどれ程、複雑化しようが
しょせんは、「人間が産み出した〝人間自身の影〟」に過ぎない
だから、
〝彼らの正体をあばく〟ことが重要ではなく
(※あえて真犯人、ラスボスを言うなら、それは〝人間性〟それ自身)
〝彼らこそ、わたしたち人間ひとりひとりの
本性を暴く試金石である〟ことが重要だ!
生命には、生命それ自体に「生きたい!」という純粋な動機があるが
その影である金融システムやら人工知能システムやらが、
それ自体で〝動機〟を持つことなどない
もし〝彼ら(?)〟がそんな動機を持ったとしても、
それはあくまでも生みの親である人間が、
その様に〝ふるまう〟プログラムをしただけで
決して〝それ自体〟が動機を抱くことなど無いのだ・・・
ロボットが人を殺した・・・
しかしそのロボットを分解しても、中から取り出せるプログラムは
「人の心の弱さ、恐怖、邪悪さ」だけなのだ
法廷にその「分解したロボット」を引き出しても、そこには殺人犯はいない・・・
「人間が動いた」・・・だから「影がそれに合わせて動いた」だけの話だ
・・・それらは影 (シャドー) であり、わたしたちの〝鏡 (ミラー) 〟~鏡像だ
あらゆるシチュエーションが、私たちの投影として私たち自身を試してくる
お金に苦しい時、その人の本性が現れる
いのちの危険にさらされる時、その人の本性が現れる
だから、金融支配を批判すればする程、生活の困窮を訴えれば訴える程
「余裕しゃくしゃくの笑顔だった時」の顔色は失われ、その人の本性が剥き出しになる
生きていく上で直面する様々な状況は、
必ずしも「説明書付き」ではなく一見理不尽なことは多い、・・・
しかしそういう
「フェイント攻撃」「時間差攻撃」を喰らわなければ
わたしたちは自分自身の〝弱さ〟〝本音〟〝本性〟を自覚できないのだ
そのためにこそ、わたしたちは「自分自身の虚像と向き合う」生活を選んだのだ
これこそが、わたしたちが「生まれてきた動機」であり
「見かけにどれだけ翻弄されない魂の視点」を試し、磨く修行(覚醒ゲーム)なのだ
この「最も危険な遊戯」は続く、
最後の最後まで、いまわの際まで・・・・
気は抜けない、油断は出来ない!
最後の最後まで、大どんでん返しは有り得るのだ・・・
「これがゴールだ」「これが最終結果だ」「これこそが真理だ」
っと、何かを信じ込んだ時点で、〝負け〟だ!!!!
・・・他ならぬ自分自身の落とした影 (マトリックス) に負けるのだ
・・・「説明」を求める、「道理」を求める、「正義」を求めるのは覚醒の弱さなのだ
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