今朝見た夢

夢の中で、
わたしは家一軒を丸ごと会場にしたスピ系の座談会に出席していた

そこには、いま世間の注目を浴びているアッキーナ、
つまり安倍昭恵首相夫人も参加していた
たぶん昨日この記事を見かけたことが夢にも影響したのだろう・・・

安倍晋三の様な夫の妻として、彼女はスピ的、エコ的な方向性を持ちながらも
最終的には「日本スゴイ(国家神道)」という結論が落ち着きどころだったのだろう

良かれ悪しかれ有名人であり、日本の最高権力者の妻である彼女の在席によって
その「スピ系の座談会」は大きく空気が固められているのを、私は苦々しく見ていた・・・

昭恵首相夫人の出席という現実性の乏しいシチュエーションでありながら
夢から覚めた私は、夢の中の私と日常の自分とがあまりにも
〝相変わらず同じ〟であることが、ちょっと可笑しかったのだが、それにせよ改めて
「私は何故いつもああいう席で〝苦々しい気持ち〟を抱くのか?」真剣に考え込んだ

そして浮かび上がってきた思いというのは
「個人がどこまでこの予定調和的な雰囲気をぶち壊してひっくり返せるか?」に
自分自身が非常に関心を持っていると言うことだった

もし、ダイナミックな逆転劇が見ることが出来ないなら、そんな会合はツマラナイ
シャンシャンとみんなで手拍子してさっさと解散してしまった方が時間に無駄がない

 わたしはそこでまた映画「12人の怒れる男」を回顧せざるを得なかった

あのカッコイイ建築家役のヘンリーフォンダに必ずしもわたしがなれるとは思っていない
そしてまた、
実際に彼の様に「粘り強くひっくり返してゆく」ことは決して〝楽しい〟作業ではない
しかし・・・、私は今までも
いわゆる〝座談会〟〝討論会〟と呼ばれる席で何を観たかったのか?やっと自覚出来た

  「あの映画の中のヘンリーフォンダの〝実物〟を目撃出来ないか?」

そこにすべての関心があった様に思うのだ
だから私は人々が、あるいは飲んだり喰ったりしながら和気藹々と談笑している中に、
虎視眈々と「ヘンリーフォンダの突然の登場」を待ち望んでいたのかも知れない

・・・場合によってはもちろん、自分自身がその役をやってもいい

しかしでは? 今の自分は「議論好きか?」っと言われれば、それもまた「ノー」だ
なぜなら、今の私には「論理の積み重ね」には大した価値があると思えないからだ

もちろん映画「12人の怒れる男」の様な状況は別だ
もし、否が応でも自分がひとりの人間の死刑を決める立場なら、
やはり映画の様に真剣に議論したいと思う

しかし、こと〝スピリチュアルな〟事柄に関しては、〝体験談などの分かち合い〟には
意義はあると思うが、それらのシェアリングはすべてあくまでも「主観的な体験」であって
他者が真偽を審査するとか、その体験の意義をどうのこうの批判したりゴテゴテとした
意味づけ、解釈を施すのではなく、単にそのシェアーされた人達が銘々自分の心に響いた
ものを大切に持ち帰っていけば良いのではないだろうか?

真正な反逆の中核には映画の中のヘンリーフォンダの様な「静かさ」があると思う、
そこには最終的には議論不要な沈黙の合意が「起きる」

でもそれは「予定調和的な沈黙」とは全く違う、
そんな沈黙とは「羊たちの沈黙」に過ぎない

要点は「議論すること」ではない
問題点は「予定調和の欺瞞性」なのだ 
あのアッキーナの最高権力者の妻の座という安全地帯から振りまく笑顔、
「ぬくぬくとした空気」こそ、
今のふわふわスピリチュアルの暗部の象徴の様に思う
その闇の核心に対する鮮やかな反逆に、是非リアルで立ち会いたいと私は切望するのだ