バシャールはこう言っている
愛の真の対義語は『憎しみ』ではありません
 愛の真の対義語は『罪悪感』です

それは『自分には存在する価値がないのではないか?』という
疑問、恐れです

この猛毒は、ほんの僅かでも全人格を抹殺する程強力なものです


バシャール「究極の、無限の自己信頼」 投稿者 maneel-katal

この恐怖、この罪悪感を手放すのは、自分自身への究極的な信頼です

ところが昨日の夕刻の帰宅途中、
散歩に連れられてテケテケ歩いていたパグのお尻を見かけて、ふと思ったのだ
「動物たちって自分の存在することに、疑問を抱くことが一切ないのではないか?」っと

動物たちの純粋な眼、愛くるしさはそれゆえなのではないかと思ったのだ
「単純に自意識がないのか?」・・・
いやいや、まったく自意識がないのなら、完全に死の恐怖もないはずだ、
いくら動物が純真とは言え「自分という存在に全く無自覚」ということではないはずだ
自然界の厳しい競争の中で自分に全く無自覚、無頓着ならば、すぐに命を落としてしまう

彼らにも「死の恐怖」はある
しかしそれが人間と大きく異なる点は、まさしくこのバシャールが言う
「罪悪感」「存在する事への疑問」のことではないだろうか?

私は今まで一度も動物たちの眼の透明さが、「自分自身の存在価値、存在意味」への
疑問で曇っているのを見たことが無かった、

   「自分は在る」・・・それがあまりにも当たり前すぎて疑問に思えないのだ

これもやはり
バシャールが言う「自分自身への絶対的信頼、究極的信頼」のことなのではないか?

「自分という存在への疑問」
  それが、人間の死への恐怖を無限に増幅しているのではないだろうか?

「人生とはなんだ?」「自分という存在とは?生まれてきたことの意味とはなんだ?」
そんな疑問を抱いたまま、果たして安らかに死ねるだろうか?・・・到底無理だ

ひとたび、そんな疑問を抱いてしまったなら、
それは死の間際まで答えを求めて私たちの胸をかきむしり続けるだろう・・・
       それが人間の死の恐怖が、動物の死の恐怖とは比較にならないところだ
 
わたしは無垢な者が苦しんでいるのを見たことが無い By OSHO

人は自分という存在に対してすら、意味やら意義やら価値を求める・・・

しかし実はそれこそが、「愛の真の対極」なのかも知れない
つまりそれが「自分という存在に『説明を渇望する』という恐怖」である

 この時、生まれてから死ぬまで裸で天衣無縫に生き続ける動物たちが、
決して味わうことがない体験に私たち人間は踏み込んでしまったのかも知れない

つまり、「愛から離れる」「自己への無限の信頼感から切り離される」という奇跡体験だ

 これは、他の動物たちには「不可能」な究極の地獄の体験だ

 人間以外の生物は、自分自身の存在意義を客観的に問うことなど不可能なのだ
「自分自身の存在が、疑問の余地なく絶対」であることが「生命の本質」なのだ

その「絶対性」「疑いの無さ」「無限の信頼」こそがまさしく 「愛」なのかも知れない

 人間はそこ(愛)から〝離れて考える〟という「宇宙的に信じがたい」事が可能なのだ

つまり
自分の生命を「客体化して考える」能力だ
自分の生命を「その他の存在と並列して見なす」能力だ

自分が死んだ後も、「世界が残り続ける」ことを考えられると言うことは
 「世界から切り離されて自分だけが消滅するのかも知れない」という
   とてつもない無限の闇の孤立感、分離感をも同時に意味する

「自分という存在が疑いもなく絶対的」である時、そんなことが想像できるだろうか? 
  つまり動物たちはそういう心理状態の中で生活している・・・
 ・・・「何はともあれ、議論の余地なく、自分が世界の中心」という心理の中だ 


でもバシャールも指摘している・・・、
「皆さん地球の人達も、私たちエササニ人から観れば
  一度たりとも、一瞬たりとも
 自分自身への究極の信頼感から離れたことなどないのですよ?」

     それは本当か?

言われてみれば、確かにそうなのだ、
確かに私たちは「自分が中心の世界」から、一瞬たりとも離れたことはないじゃないか?

単に私たちは(自分自身の視点から離れた)いわゆる〝客観的な〟〝科学的な〟
ものの見方に表面的に気を取られ、「自分はそういう立場でものを見ている」と
錯覚してきただけなのだ

人間だけが「愛」という言葉をもてあそび、
そこから分離して「自分は見ている」、「自分はそう考えている」、
と〝思考実験〟でき、遊離できるのだ

私たちは絶対的な自己信頼の元で、「あれを信じ」「これを信じない」と宣言している
本当の愛とは、自分という存在を背後から突き動かし、生かしているものなのに、
「自分誰かや何かを〝愛して〟いる」あるいは「自分は愛していない」と錯覚している

動物たち、獣たちの美しさとは、そういった〝愛〟と〝自分〟との分裂がない故なのだ
それゆえに愛という言葉を全く知らず、その概念さえ持たず、愛そのものと一体化して
生きているのだ・・・一体化、っという前に、そもそも「分かたれた」ことがないのだ!