「ひとりの人が光明に達したとしたら
  さあ、それは何を意味するのか・・・?」

 「それは、その人が
   いままで学んできたこと
   いままで受けてきた条件付けのすべて
   〝無効〟になったことを意味するのだ」 By OSHO

だから私の信念とは唯ひとつ
「何も信じない」ということだ・・・

 「信じる」という動機も、前提も、すべて、
  過去に学んできたこと
  過去から引きずってきた認識や条件付けの結果だからだ

でも過去の記憶したことを前提にすれば・・・
たとえば、「物理学や幾何学」を前提にすれば、様々な設計が可能だろう
たとえば、「数学が真実だ」という前提なら、数学の問題に解答可能だ
たとえば、「貨幣社会が正しい」という前提ならば、商売も出来るだろう

「信じる事」「信念」とは、かように〝便利〟だ、〝実用的〟だ

しかし、カテゴリー無き絶対性について、人生の意味について考えるなら
一体どんな「信念」を前提に考えられるのだろう?
あらゆる経験、教育、条件付け、信念は、「生まれた後」の〝後付け〟ではないか?
それを私達は「自分の生まれる前からの権威」を根拠に信じ込んでいるだけだ

あらゆる〝前提〟は無効になる
あらゆる〝信念〟は無効になる

最後には、私の唯一の〝信念〟さえも手放さざるを得なくなる

   「何も信じない」ということさえ「私は信じない」

でもそれはあらゆる信念の絶対的な否定でもあるが、絶対的な肯定でもある
絶対的肯定と絶対的否定とは繋がる

わたしはある時は、
 何かを前提にし、何かを信じて行動するだろう

またある時は、
 なにひとつ前提にすること無く、
  何の信念にもしがみつくことも無く
    虚空の中を彷徨い続けるだろう

    それさえも前もって決める事は無い
   その時初めて、「私は何も信じていない」(信念無し)と言えるだろう
   つまり「あらゆる矛盾さえ厭わない」という意味を内包する

    Catch Me If You Can(できるもんなら捕まえてみろ)

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