今朝見た夢
ボロボロの廃校跡の様なところから生徒数十人と教師の私以下
何人かの大人達とで校舎を建て直す夢を見た


スコップや鍬や一輪車の人力で、
地盤整理するところからはじめるキツイ作業だった

最初は私は軍隊調で子供達に仕事を指示するが、
子供達は当然面白そうじゃなかった
奴隷の様に作業の意味も、そのやり方の合理性も理解出来ず
それが自分達の為であることも自覚できず、
したがって自主的に工夫する事もなしに、
ダラダラと私の言われた様にやっていた

なので私は自分と数人の大人達とで楽しそうに役割分担しながら
子供達に手本を見せた ・・・事実その作業は楽しかった

すると子供達も手伝う様になってきた、一言も指示しなくても
大人も子供も一糸乱れず自主的に役割を考えながら作業は
みるみる進んでいった・・・

目が醒めて思ったのは、
「作ることの楽しさ」というのは土台をどこからか乗っ取ってきたのでは
得られないだろう・・・ と言うことだ
 
泥まみれになりながら、
「教えると言うことは言葉ではない、頭ではない・・・」
「黙々とやってみせることなのだ・・・そして何よりまず自分が楽しむことだ」

そんな気持ちを思い出させてくれた夢だった
知識を詰め込むだけの今までの教育が行き詰まるのは当然の結果なのだ
そこに一体どんな創造性があるだろう?
そんな教育を受けた次の世代に、一体「創造性とは何か?」わかるだろうか?

いろいろのモノが作り込まれてしまっている現代では
きっとこう言う汗を流す楽しさを若い人達はなかなか見つけにくいだろうなあと思った

「地球とは魂達がどろんこ遊びをしに来た惑星だ」っと、
マ・プレム・アニマが言っていたのを思い出す

「先生の時代はマンガは黎明期だったから、やることが一杯あって羨ましい」
っと、あるマンガ家のタマゴが手塚治虫に言ったら、氏はカンカンに怒鳴ったそうである
「何を甘ったれたことを言ってるんだ!」っと

わたしは手塚氏の怒りがよく判るつもりだ

奴隷になるな、追随者になるな、囚人になるな・・・
途中から思いつきで「クリエイターやりまぁ~す!」って言っても無理なのだ
ニートが乗っ取った家を土台に、そこを神社と呼んで居城にしようというのは
典型的な在日朝鮮人の発想だ
挑戦する気があるなら土台から考え直せば、
「やること」、「やり方」はきっとまだまだ一杯あるのだ!


分かっててやっている 投稿者 maneel-katal