なかなか難解な映画なので、何度も挫折していた映画だったが
昨夜やっと見終わった

しかし「 昨夜やっと見終わった」事にもシンクロニスティーが働いていた
なぜなら昨夜は「マインドの破壊」がテーマになっていたからだ

この映画の中心となっているミッションは深層心理に
微妙な「考え」の植え込みをする事で現実の状況を大きく変化させる
というものだった

ディカプリオや彼を雇った渡辺謙は、ライバルの巨大企業による
「エネルギー世界市場の一局独占を阻止する」という、いわば〝正義の味方〟として
活躍している事ぐらいは、まあネタバレして置いた方が私の様に中途挫折せずに
この映画について行きやすいだろう

三重構造の夢の奥底でぽつりと置き替えたシンプルなアイディアが
ウイルスよりも強力に個人の世界の中で感染爆発して、本人は
「自分が自発的に選んだ運命だ」と思わせる・・・  

いくら〝正義の為〟とはいえこのインセプションが
恐ろしい行為であることがこの映画で感じられるのは、
最初に成功した〝実例〟が主人公コブ(ディカプリオ)の妻であり、
それがこの夫婦を破滅させてしまったという過程が、
映画のストーリー進行と共に明かされることで雄弁に語られている

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「全ては夢なのではないか?」という強烈な懐疑論が人生を破壊してゆく
っというテーマは、事実そう考えている私にとってはフィクションでは
済まされないテーマだ 

ただ私の自身の仮説は、ちょっと違っていて
「夢と現実とは私たちの日常で信じられている程、 明確な線引きは出来ない」
というものだ

私たちの「起床してから就寝するまでの」明晰に体験している日常を
私たちは〝現実〟と思って疑わないが、私はそこに常に疑問を差し挟んでいる
時々話題になる〝明晰夢〟はあくまでも就寝中のことなのだけれど
それは「肉体はあくまでベッドに横たわっているのだから、キホンは〝夢〟」
と一般的に思われているが、それは正しいのだろうか?

本当に「この肉体を伴った日常の体験こそが〝リアル〟」・・・なのだろうか?

〝リアリティー〟がタップリあることは認める
そしていくつもの厳しい条件付けがある、拘束がある、明晰さがある
      ・・・だから〝リアル〟なのだと断言できるのだろうか?

私たちの起床時の日常は、あまりにも多くの「良いこと、悪いこと」の基本同意
つまり〝常識〟〝共通認識〟〝法律〟 などが折り重なった上での生活だ

これら「良いこと、悪いこと」は遠く幼かった頃からの根深い学習の結果だ

もしこれらの学習がある水準に達していなければ、
  私たちは誰もが社会的な不適格者として、・・・
  学習障害者とか、異常者、犯罪者として扱われていただろう

それゆえにこの「厳しい現実」こそを「現実なのだ」と
私たちはあまりにもガンジガラメなのじゃないだろうか?

「こんなガチガチのリアリティーが、本当のリアルじゃないんだ」
という発想は、もちろん私だけではなく〝夢想家〟と呼ばれる多くの人が持っている
それはたとえば「現代まで続いている金融システムはインチキだ」といった
いわゆる陰謀論者達に、かなりのリアリティーを持って受け入れられている
わたし自身もそういうアイディアを広めてきたひとりだ

しかしわたしは〝彼ら陰謀論者〟と、今は一定の距離を置いている
わたしも広めてきたロスチャイルドによる金融支配論は、多分事実だろうと今も思う
しかし、単純にこういった「悪い奴らのせいで・・・」という被害者意識には
私は大いに疑問を抱いているのだ ・・・これは私たち自身が潜在的に求めていた
〝ルール〟だったのではないだろうか?だとしたら私たちは被害者では無い

新大統領、トランプ氏も
「フリーエネルギーやアンチエイジング技術を公開する」
というニュース
も取りざたされている、UFOの公認も近いと言われている
まさしく「人類の〝夢の様な〟夜明けが間近」な期待感が、今高まっている

でもだからこそ、この「目の前のニンジン」に目がくらんで、
わたしたちは大事な歴史的な一歩を踏み誤るかも知れないと私は危惧している
現在は「大チャンス」と「大ピンチ」がせめぎ合っている歴史的瞬間なのだ

わたしたちが固く信じている「良いこと」「悪いこと」は
すべてインセプションされたこと」ではないだろうか?

それはどれ程、「微妙な」「些細な」事であったにせよ、大きく運命を左右する
わたしの現時点の結論を言えば、いかなる微妙なインセプションをも
見抜かなければいけない、いままさに最後のタイムリミットが来ているのではないか?

如何に、どんな角度から見ても「良い」と信じ込んでいることも
わたしからいえば、それは「インセプションされたこと」なのだ
それは、本来の私たちの真正な姿から大きなズレを生じさせている
そしてそれを「自分自身の本性」と信じ込んで走り出した時
それは大きなしっぺ返しを生むだろうと思う

それがわたしが映画「インセプション」から得たメッセージだ