榊 みや子
【届けぇぇぇ!!!オオォォォ(゚ロ゚*)(゚ロ゚*)(゚ロ゚*)(*゚ロ゚)(*゚ロ゚)(*゚ロ゚)ォォォオオ】

今でも、何かに挑戦する時は、
なぜだか頭の中をこの曲が流れる。

今、あなたに届けたいのはこれだ。

ずっと体の奥の方で、こんな音が鳴り響いている。
目覚めて。わたしの少年と少女。





少女は「何故走る?」のだろうか?

少年は「夢を追いかけて」走っている・・・これは鉄板だ
でも少女は「少年の夢を叶えるために走る」と、この唄の歌詞は言う

男の私には理解を超えた心情だ
私はたった一度でも「誰かの夢を叶えるために」走ったことがあっただろうか?

少女にはそれが出来る、そのことを私は単に「恋愛感情があるから」と解釈し
何の感想も抱かなかった・・・この歌を聴くまでは

地球少女アルジュナの場合はあきらかに
「トキオというボーイフレンドへの恋愛感情から」走っているのだが
このアニメ作品の中で、このふたりの関係は単純な「恋愛感情」だけでは語れない
もっと深い「一体感」が描かれていた

シリーズの進行の中で、ふたりははじめは「他愛の無い高校生カップル」なのだが
主人公樹奈の精神的な成長とともにBFトキオはだんだん疎外感を感じふてくされ
そして樹奈のクラスメートさゆりがだんだん「恋敵」としてトキオを略奪しはじめる
にもかかわらず樹奈の成長は止まらない、本人にも止められない
彼女のトキオへの想いは「恋」から「愛」へとシフトしてゆく
そして精神的に大きくなった樹奈の「愛」の前にトキオはたじろぎはじめる

この「少女のままで突き進め」歌詞の中に登場している「少女」も、
必ずしも単純な「少年への恋愛感情」で「少年のために走っている」様には感じない
きっとそれは「目覚めて。わたしの(内面の)少年と少女。」と彼女が独白しているように
作曲者:榊みや子、ひとりの中にいる少年と少女の物語だからなのだろう
ここでもやはり「少年と少女」は「恋を超えた一体感」のなかに描かれている

少年が走る時には、必ずおのれの〝夢〟〝理想〟〝目的〟や〝動機〟がある
たとえ「誰かのため」であってもそこには何か理由、意義やプライドがある
本質的にはあくまでも「自分自身のこだわり」が中心にある

しかし少女が走る時は、「ただただ少年の夢を叶える」という
他者のもつ動機の実現のために走ることが出来るのだ・・・完全に自分に中心が無い
その純粋さは、男に生まれ、しかもすでにオッサンのわたしには全く理解出来ない

スジャータ

あくまでも「自分自身に中心をもつ~スワミ(座身):男性原理」と
けっして「我が身の中に中心を持たない~マ(間、母):女性原理」・・・

「わたしは〝在る〟」「わたしは〝空〟」・・・どちらの両極も相補的な真実だ

なぜ「妙法」が「少女の法」なのか?なぜ「生命を〝生かす〟法則なのか?」
この榊みや子の唄で少し理解出来たような気がする