実際に上記の様なやり方で「ありがとう」を唱えていた人物と、以前私は交友があった
はじめは驚き、違和感もあった・・・ まるで自閉症のうわごとみたいだったからだ
・・・でも、いま思い起こせばとても好人物だった

・・・・とにかく子供の様に無邪気で、
    私よりも年上の男性だったが可愛らしく、素直な人だった
    わたしは彼を「ありがとうおじさん」と呼んでいた・・・・

「ありがとう」は、私の場合、そんなに数を連呼はしないが、それでも心がけてはいる
そして分かったこととは、「ありがとう」とは実にセルフイメージを改善するパワーが
あると言うことだ、・・・・言葉にだしたものは、エコーして必ず自分に返ってくる
つまり、自分が実践していることは、他人にも潜在的にすでにある要素なのだという
顕在化が起きてくる

その結果、
「自分自身も叉、世界からその存在を(無意識であれ)感謝されているのだ」
という確信が高まってゆく

いわゆる「自尊心が高い人」と聞くと「高慢ちき」なイメージがないだろうか?
でも、本当に高密度なセルフイメージを持つ人は、決して傲慢ではないものだ
むしろ、
自尊心に満ちた人程、謙虚であり、
また、卑屈さとは違う真の謙虚さを体得する程、ひとは自分自身の尊厳を見いだしてゆく
・・・・「感謝の発信」は、そのような「人の観察のしかた」「見方」を培ってゆく

   「傲慢さ」というのは「真の自尊心」の「チープな代用品」ではあっても
   実際には自分を大事に出来ていないからこそ、「高慢ちき」に陥っているのだ

   本当の自尊心とは自己の信念でガチガチなのではなく、派手さも無く
  「感謝」という脳骨髄液で満たされた宇宙とのシンクロに活性化している
   伝導率の良い「バッテリー液タップタプな脳の働き」の状態のことなのだ

   ・・・それは脳単体の独善的な働きなのではなく、寡黙で素朴で地道だ
      微妙で繊細な宇宙ネットワーク、水槽の中の金魚、(頭蓋骨は金魚鉢)
      量子エンタングルメントの 多重奏、交響曲・・・・
      ・・・いくつもの「彼方の宇宙」とのコール&レスポンス だ

「ありがとおじさん」はとにかくひたすら、柔和で温かい人柄だった
他人への「否定感」というものがまるでない人だった、
彼・・・「ありがとおじさん」は心療内科のドクターだったが、
まさにそれは彼の天職だったと思う

      「いまここ」に真剣であれば真剣である程、
      ひとはガチガチになるのではなく、ゆるゆるになっていく

    「考えるんじゃない、感じるんだ」というセリフがあるが、
               人間の終着駅はそこかもしれない

柔軟な人、グッピーの様に感じるままに生きている人のことを
「無責任な人」というイメージを持つ人は多いと思う、私もそうだ

しかし、本当の意味で
「自分自身に対して 無限の責任を引き受けている人」とは
マッチョな筋肉のスーパーマンの様な万能の人なのでは無く
「自分が無い人」 (あらゆる拒否拒絶が無い、素直で柔軟な人)
                   ・・・なのかもしれない