昨日書いた記事の続きになると思う

愛の最大の敵とは冷淡さだとおもう・・・そしてそれは偏愛から生じる

誰も彼もが比較しがたいほどすでに〝個(ユニーク)〟だ
例え本人がアリンコのような集団帰属意識に留まっていて個にまだ目覚めていなくても、だ

・・・ただ、「この人はいまのところはそういう意識だ」ということに過ぎず、
   その現状だけを見て軽んじて(馬鹿にして)はいけないと思う・・・
    まだ泥の中の蓮・・・  それでも全ての蓮は根のネットワークで繋がっている

そしてそういうことなのだとしたら、全ての人を比較不能な個と見た場合、
誰かと誰かを大事にし、尊重し、そしてその他の人達を冷淡に切り離すというのは
どう見ても愛ではない・・・

  だから偏愛こそが愛の最大の敵だ
  「それ」への偏愛が、「それ以外のその他諸々」への冷淡さを生じさせる

だからこういった偏愛を退けた本当の愛とは究極的には〝球〟になる
いや、時空間上にある全てとの関係性が自分自身をセンターとした〝球〟になる

どんなに美しく片寄りがない球であれ、
もし重力がある平面と接するならば、球はその平面とは一点のみに自重を支えることになる
それが「いまここに一点」であり、その一点には「全宇宙の自重」が存在している

それがメンタル体、アストラル体、エーテル体・・・と下ってゆき、
そして最終的には「いまここ」の私たちの肉体であり、物質界だ

わたしたちひとりひとり、一瞬一瞬に、全宇宙の100%の「重み」がのしかかっている

いまここの目の前の状況に誠意を持って精一杯対応することが、
すなわち「すべて」に対応することになる


これが斉藤ひとりが言う「100%の自己責任」なのではないだろうか?


「観点から観球へ」バシャール・バージョン 投稿者 maneel-katal

・・・それは第三者から見れば「博愛主義者ですね?」ということかもしれないが、
  「~イズム(主義)」でやることなのではなく、ただただ素朴にそうしているということで
  むしろ「~イズム」とは正反対だ・・・このことはまたあとで分けて書きたい