上記の記事を見かけた時、「うんうんそうだよね!分かっているよOSHO」と思いつつ
今日は「やっぱ分かってなかった、オレ!」と愕然とすることがあった・・・

〝愛〟という言葉を聞くと多くの人がピンク色の大きなハートマークを連想する
特に、親が子の幸福を想う気持ちというのは、さぞかし強いだろう・・・

親子愛に限らず、誰かの幸福を強く願う・・・、自分自身の幸福以上に強く願う事・・・
他人に支点を置いた時の、「忘我の感覚」とは実に心地よい・・・

だからこの「心地よさ」を賞して、その酩酊感覚をドピンクのハートマークと共に〝愛〟と言う

  だから多くの人は、「自分は愛を知っている」と信じ込んでいる

そんな人達に「人のことは放っておけ」と言おうものならきっと非難されることだろう

・・・特に「子を持つ親バカ」はそうだろう
  子供の幸福を強く願っていればいるほど、その親は当然「放って」はおけないだろうから

しかし、子供を不幸にする〝毒親〟とは〝育児放棄〟〝放任教育〟ばかりではない
昔から「親は無くても子は育つ」というのはこのことだ


・・・むしろより確実に子供を抑圧するのは「暴力」以上に「強すぎる親からの幸福を願う思い」だ
  「思い」「想い」・・・それは強ければ強いほど「重い」になってゆく

  いや、もっと思いっきり言ってしまおう、
   「特定の誰かの幸福を強く願望すること」とは、
  一見、「強い愛」の様に見えるが実際には暴力だ!

「過ぎたるは及ばざるが如き」  ・・・・放任も溺愛も同じコインの裏表だ
ある者に対しては冷淡で無責任に切り離し、そしてまた別の者に対しては干渉して握りつぶす

こんなこと、一時期の教育議論でさんざん言われてきたことだが、
親子間だけでなく男女間、友人間・・・、
すべての関係性に同じような問題点が発生しえる・・・  それを見落としていた!

 まさか自分自身がこんなミスを侵していて、ずっと気がつかなかったとは、恥ずかしい次第だ

  「自分は愛を知っている」 「わたしはあなたの幸福を願う光の波動を持っている!」

              ・・・〝愛〟に限らず、〝自由〟であれ、〝平和〟であれ
                「知っている」という確信、実感は心の壁だ、心の牢獄だ

・・・それはその確信、実感を抱く本人も、その確信、実感をぶつけられている対象の人々も
              その当事者の誰をも不幸にする、誰もが皆、不幸になる