神語 - Wikipedia

さきみたまを「幸魂→咲き」
くしみたま「奇魂→串」とも読み替えることが可能だそうだ

そうするとこれはヌース的な世界観と繋がってくる

串、つまりお団子の様な球を何重にも刺し貫くもの
そして
咲き、とは花の様な開花を顕し、無限遠点からの「串」が垂直平面上に展開する様子である


わたしはこの画像に芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を感じる

仏が慈悲を感じたものとは「潜在的な仏」である

たとえどれほどの悪党でありどれ程の罪を重ねていようが
一匹の蜘蛛の命に哀れみを感じたものには仏心がある 

そこに天から垂直に垂れた一本の「蜘蛛の糸」こそ「くしみたま」だとおもう
もし※(「特のへん+廴+聿」、第3水準1-87-71)陀多かんだた
自分について昇ってきた(過去の自分である)地獄の住民達を振り払おうとしなければ
彼は、いや、彼らはみなで垂直軸の天国に到達しただろう
そのとき、アセンションが起きたのだ!
カンタダはアングリーマーラと同じく、一気にエンライトメントできただろう

 「こんな細い糸、俺ひとりで独占しなければ切れてしまう・・・」

そんな〝数学〟〝物理学〟に基づいた不安、恐怖が、
カンタダを「過去の自分」「量刑の世界」「作用と反作用」に引き戻してしまったのだ

もし〝数学〟〝物理学〟よりも仏法が上位のプライオリティーでなければ、
その一本の蜘蛛の糸でさえ、垂れてくることはなかったのだ

  「縁なき衆生は度し難し・・・」

そこでカンタダと仏の慈悲との〝縁(えにし)の糸〟は切れてしまう

でもけっして釈迦がカンタダを「見放した」のではない
カンタダ自らが「重力に張り付いた世界」に戻ってしまっただけのことだ
釈迦は「もうひとりの自分」であるカンタダがまたいつか仏心を取り戻す瞬間をいまも待つ

永遠に、無限に・・・ なぜならその無限の忍耐は、無限、無極性を背景にしているからだ


その時ブッダは振り返って世界を見渡した 投稿者 maneel-katal