「無条件の愛」というものを人が人に与えられるとは思わない
本当に誰かに対して「無条件さ」を発揮したなら
それは身ぐるみを剥がされ、命をも投げ出すことだ

・・・このブログで何度か書いてきたけれど
  「無条件の愛」とは、自分自身にのみ可能なことだと思う

  自分自身を一切の条件付け無しに受け止められた時
  人は誰に対しても「無償の愛」を発揮出来る

質問
ガールフレンドと私は、いろいろな時期に、お互いに愛し合って来たように思います。
私達は、それぞれに充分には出会っていません。
お互いに明け渡したいと思うことは、間違っているのでしょうか?

osho
最初に・・・あなた方は、お互いに明け渡すことは出来ない。
あなた方は、愛に明け渡すことは出来る。
しかし、お互いに明け渡すことは出来ない。
もしあなたがお互いに明け渡したいと思うなら、困難に向かうことになる。
これは、恋人達が犯す最大の過ちのひとつだ。
そして、ほとんど全ての恋人達がこれを犯す。
彼らは、明け渡しはお互いになされなければならないと思っている。
そうすると、明け渡しの名の元で、微妙な支配が始まる。
明け渡しはお互いにではなく、愛の神になされなければならない。
さもなければ困難が、多くの困難があるだろう。
どうやってあなたは、あなた自身を彼女に明け渡し、
そしてどうやって彼女は、彼女自身をあなたに明け渡すのかね?
彼女はあなたの中に、千とひとつの欠点を見い出し、
あなたは彼女の中に、千とひとつの欠点を見い出す。
人は何か完璧なものにのみ、明け渡すことが出来る。
明け渡すということはとても難しいことであり、
あなたが愛の中にいる時には、なおさら難しくなる。
何故なら愛の中にいる時、あなたは他の人と
あなたを、対等のものとして受け入れているからだ。
あなたはマスターに明け渡すことは出来る・・・
あなたは仏陀やキリストのところへ行って、明け渡すことは出来る・・・
何故ならまさに最初から、あなたはそれらの人を高いものとして受け入れてしまうからだ。
明け渡しは、より易しい・・・すでに明け渡しへの道は出来ている。
しかし、あなたが女性と恋に落ちる時、そしてある女性が
あなたと恋に落ちる時、あなた方は、お互いを対等に受け入れる。
愛の中でこそ、対等であることは受け入れられる。
さて、自分と対等の人に明け渡すことは、とても難しい。
だから、困難や不必要な衝突があるのだ。
もし明け渡そうとしても出来ない時、あなたはそのことに罪悪感を感じてしまう。
この明け渡しという考えの為に、あなたは、あなたの恋愛全体を駄目にしてしまう。
その時、実に微妙なゲームが始まる。
明け渡しの名の元で、あなたは支配を始める。
彼女の方も支配を始める。
そして女性というのは、明け渡しを通して支配するということにおいては、素晴らしく賢明だ。
彼女らはあなたの足に触れ、その手をあなたの首に回してしまう。
これには理由がある。
何故なら女性はより優しく、より繊細なので、
彼女の支配の仕方というのもデリケートなものとなる。
男性が支配しようとする時、彼はただ攻撃的に、暴力的になり、大声を出したりする。
女性が支配しようとする時、彼女は叫んだり泣いたりする。
しかし、彼女は支配しようとしていない、などとは考えないことだ・・・
その涙は支配する為のものだ。
そしてもちろん、彼女はより上手いやり方で成功する。
何故なら、男性はそれと戦うことは出来ないからだ。
もしその女性が彼を打つのなら、彼は戦うことが出来る・・・
彼はもっと強く打つことが出来る。
彼はより筋肉質で、より大きな体を持っているのだから。
だから女性は、非暴力の方法を通り抜けなければならない。
非暴力の方法・・・女性の最も古くからのやり方は、ほとんどこれだ。
彼女はあなたを支配したい。
しかも、あなたが回避出来るようなやり方を通してではなく・・・。
あなたは、彼女のやることを回避することさえ出来ないのだ。
さて、もし彼女が泣いている時に、あなたが本当に彼女を
打ち負かしたいなら、あなたはもっと大きな声で泣かなければならない。
それはあなたには出来ない。
難しい。
だから、あなたは明け渡さなければならない。
ところが女性は、泣くことを通して支配しようとしているようには見えない・・・
それがその美しさだ・・・しかし、それは微妙な支配なのだ。
初めに、最も基本的なことがある。
それは、お互いに明け渡すという点から考えるのではなく、
2人が共に、愛に明け渡すということだ。
その時、あなたは彼女に何も言うことは出来ないし、彼女もあなたに何も言えない。
そうすれば、あなたが誰かの影になる必要もなくなる。
あなたは、あなた自身のままだ。
彼女は、彼女自身のままだ。
実際、愛の神に明け渡すことによって、あなたは
本当にあなた自身になり、彼女も本当に彼女自身になる。
あなたが本当に独立していて、彼女に支配されることを
心配していない時、またあなたが、彼女に明け渡しているのではなく、
愛の神に明け渡している時、その時あなたは、あなた自身を全面的に開くことが出来る。
何故なら、その時には彼女の存在が、あなたと共に在るかないかという問題はないからだ。
この考えを強調させて欲しい。
あなたが愛の神に明け渡す時、その時は、
彼女があなたと共にいるか、あなたの元を離れるか、あるいはあなたが
彼女の元を離れるか、彼女と共にいるかは、それほど大切なことではなくなる。
たったひとつ重要なのは・・・愛は留まる・・・ということだ。
あなたの明け渡しは神に対してであり、彼女に対してではない。
そして彼女の明け渡しは、愛に対してであり、あなたに対してではない。
だから唯一の問題は、愛を裏切らないということだ。
恋人を代えることは出来る。
しかし、愛は留まる。
一度、あなたがそれを理解したら、何の恐怖もなくなる。
私はあなたに、代えなければならないと言っているのではない・・・その必要はない。
しかし、これは絶対に理解されなければならない。
恋人は代えることが出来る。
しかもなお、愛は裏切られないということだ。
あなたは依然として愛している・・・
他の何か、何か他の表現、何か他の形を・・・
しかしあなたは、なおも愛しているし、彼女もなお愛している。
愛はあなたを、あまりにも幸福にしたので、あなたはそれを裏切ることが出来ない。
一度これが理解され、当然のこととして受け取る
ことが出来たら、その時、あなたは全面的に開くことが出来る。
そして、まさにその開くことの中で、あなたはひとつになる。
ふたりの人間が開いている時、彼らはふたつではない。
ふたりの閉じた人間だけが、ふたつなのだ。
ふたりの開いた人間は、ふたつではない。
そして、そこには満ち足りたものがある。
それが、全ての恋人達が探し求めているものだ。