あなたたちが苦しみを握って放さないのは
愛を受け取らなかったからだ。
人生において愛を受け取った者は
喜びと至福に満たされている。
彼は喜びと至福を握って苦しみを掴まない。
苦しみは握り続ける価値のないものだ。
だが、それでも文句を言える利点はある。
何しろ他人が自分を苦しめていると
言っていればいつでも、
責任の重みは自分に掛からないからだ。
ところが私があなたたちに言うのは、
そしてあらゆる教典、すべての賢者たちが
あなたたちに言ってきたのは、
ほかでもない、あなたひとりに
責任があるということだ。
そうなると、
それはあなたにとって、非常な重荷になる。
最も厄介な思考は、
自分のほかの誰にも
責任を転嫁できないということだ。
さらにもっと厄介なのは、
もし自分ひとりの責任だとしたら、
誰に同情を求めたらいいのかということだ。
そして深い内面ではもうひとつの
困難が起ち上がる。
それはもしあなたに責任があるのだとしたら、
変化が可能だということだ。
そして変化とは革命であり、
それには変容を通り抜ければならない。
   あなたはあなたの古い習慣を
破壊しなくてはならない。
あなたが持っている古い枠組みは
すべて間違っている。
あなたがこれまでつくってきた家は
完全な地獄だ。
だがあなたがそれを創ったのだ。
それがどれほど大きなものだとしても、
壊さなければならない。
あなたの全生涯のワークが
どぶに流れていくように見える。
それがあなたが
真実を避けようとする理由だ。
だが、あなたが避ければ避けるほど、
あなたの迷いはさらに深くなる。
 これをまっ先に理解しなさい。
あなたこそがあなたの存在の中心であり、
ほかの誰にも責任がないということを。
その事実に直面することがどれほど
大変であろうとも、
あなた独りに責任がある。
もしあなたがこの真実を受け容れたら、
あらゆる悲しみはじきに消える。
というのも、いったん
「自分がこのゲームを演じている」
ということがはっきりしたら、
それを壊すのにどれほどの時間がかかるかね?
そうなったら、ほかの誰にも関係ない。
そしてもし、
それでもまだ苦しむことを
楽しみたいのだとしたら、
それはあなたの決定だが、
もはや不平を言う理由はない。
もしあなたがあてもなく
この世をさまよいたいと言うなら、
それはあなた自身の好みだ。
もしあなたが地獄に落ちたいと言うなら
それは完全にあなた自身の選択だ。
だがそのときは、不平を言ってはならない。
そのときは、苦しみの中で幸福でいなさい。
OSHO
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